Vol.9 (2006.3.6)
【弥生・啓蟄】  思 い 出 に 残 る 一 言

卒業式のシーズンです。この時期は不思議なもので、多くの事が思い出され、感傷的になります。JUVYのメンバーの中にも区切られた学齢を終える者がいます。この号が出る頃には、丸山君などは卒業してほっとするどころか、進学先の法政大学陸上競技部の合宿所に入寮し、沖縄合宿に参加しているはずです。県高校総体棒高跳記録なしを自分だけの財産にし、そんなこともあったなと笑い話で語り合える境界線が卒業式だったのかもしれません。丸山君に限らず、卒業生の皆さん、卒業おめでとう!心からご祝福申し上げます。


さて、今回は前回綴った“視点からのアドバイス”から、「思い出に残る一言」にテーマを移してまいりたいと思います。

以前、掲示板に書き込まれた言葉を掲載させていただきます。

「君たちは、今日世界一の練習をした」(OCEAN氏)

「今は休み時間だ。今にきっと自分にしかできない事がやってくる。その時のために準備しておかねば」(Rin氏)

このような言葉は“一生もの”です。なぜなら、聞く側としては、いろいろな条件が重なり、― 例えば“情景”、例えば“立場”、例えば“達成感”、例えば“挫折感”など ― 、忘れようにも忘れられない言葉となるのです。

このような言葉は、聞く側の感性が高まっていないと、「気障な台詞(キザなセリフ)」となりかねません。下手をすると、聞く側にとっては「土足のまま心の中にずかずかと入ってこられたような気分」になり、嫌悪感さえ抱きます。

やはり、話す側は預言(神の霊感を受けた者が神の意志を告げること。また、その言葉)的な状況で話すことが多いのではないでしょうか。私は自分の意志や意思以外で話したときに、奇跡的な成功を収めた体験をしているから、特にそう思うのです。

以下、聞く側にとってはどうだったかは知る由はありませんが、私が話した、私の記憶の中の「思い出に残る一言」です。聞いた側は忘却の彼方でしょうが、私は昨日のことのように覚えています。


「神がおまえを走らせる。」

1982年の島根国体、少年男子A100m。8月のIHでは準決勝で落選していた栗原浩司選手(当時佐野高校3年)は予選をトップで通過したものの、準決勝はかろうじてプラスで通過、苦しい状況でした。召集所に向かう前の沈黙が支配するテントの中、そんな時に出た言葉です。彼は、見事なダッシュを見せ、優勝しました。

  
「堂々と失敗してこい」

1988年、所は韓国ソウル。オリンピック4×100m準決勝前に、第1走者の青戸慎司選手(当時中京大学3年)と3走の栗原浩司選手(当時足利工業高校教員)が召集所に向かう前に話した言葉です。

私は、“失敗を恐れるな”というアドバイスは、失敗した場合を前提としているのではないかと考えていました。

人間の総合力を考えると、失敗なのか失敗も実力のうちなのか判断できないのが大試合です。失敗も実力のうちと考えれば…。失敗するということは、人間としての総合力の一部を見られることで、恥ずべきことではないはずです。

しかし、当の本人達がそんなことを考えて試合に臨んだとは思われません。そんな言われ方をしたため、多少たりともプレッシャーから解放され、気が楽になった可能性はありますが…。
日本チームは、アジア記録を樹立、全体の記録としては8番目でしたが、組み合わせの関係で、残念ながら準決勝で落選しました。


「自分を信じるのではない。自分のやってきたことを信じるのだ。」

  ソウルから4年後の1992年。バルセロナオリンピックを前に不調をきたしていた青戸選手から、ある日の夜電話がありました。
ソウルオリンピックの後、日本選手権を獲りながらも、北京のアジア大会では、痛めていたアキレス腱の激痛に耐えられず準決勝で落ちた悪夢で悩んでいたのでしょう。
    
しかし、その日を堺に調子が上がり、60年ぶりのリレー入賞をかけ、第1走者として“観客の声援が作り出す音の壁”に向かって疾走し(青戸選手の感想)、責任を全うしました。アジア記録を更新し6位入賞を果たしたのです。

(以下余談)
この話は、あるライターが「孤高のオリンピアン」と題した中で紹介され、雑誌ナンバーの新人賞に応募されました。また、FM放送の電波にも乗り、私も出演させていただきました。青戸選手が私に力を与えてくれた出来事です。


「一緒にアメリカへ行って、力を試そう。」

黒磯から佐野に来て世界を目指すと誓った彼は、我家に下宿し競技生活を送りました。大野功二選手佐野高校3年の時の言葉です。彼は中学時代ハードルの選手で、短距離での全国的な大会への出場は高校1年の時の国体少年B100mへの参加しかありませんでした。

この年の日本の高校短距離界は、宇都宮東高校の荒川選手に注目が集まっていました。そんな状況で、ノーマークの大野選手に、“日本のJr.には200mでは負けないから世界を膚で感じてくるためにも”と、上記の言葉が出ました。聞く人が聞けば“とうとう狂ったか”とも思える、1991年の日本ジュニア選手権200m決勝の召集所前での一言です。

彼は見事優勝し、アメリカに3週間、朝原宣治選手らと遠征したのです。おかげで、私の競技観も大きく変化したものです。

(以下余談)
大野選手が現役を退き、婚約の報告に来た際、私が上記の話をしていると、「先生、オリンピックに出られずに済みませんでした。」と言って、彼は泣き崩れました。そこにいた我家の者も大野家の皆さんもお嫁さんも、全員がもらい泣きです。こんな感性を持った選手と巡り会えて私は幸福者だと、今更ながら思います。


「3箇所で失敗することがありえる。しかし、2箇所までの失敗ならおまえは負けない。」

こちらもノーマークの選手が優勝した、昨年の日本ジュニア選手権200m決勝前に諭した言葉です。JUVYの会員q謔P号の斎藤仁志選手は、高校3年時にはIHの出場権を県予選でなくしていましたから、全国的には無名中の無名でした。

さて、3箇所の失敗の3箇所とは“スタートとスタートダッシュ”“コーナー抜け”“フィニュッシュ前”です。案の定、彼はスタートで後手をふみ、最もスピードに乗らなければならないコーナーの出口でももたつきました。しかし残された1箇所は見事にクリアーし、195mで先頭に並び、そして胸の差勝つことができたのです。


こうしてみると、私の中の“思い出に残る一言”には技術的なアドバイスはあまりなかったのかもしれません。練習やウォーミングアップ中などでは、技術や体力などの内在力引き出しのためのアドバイスをしていることは間違いありません。しかし、持てる体力を引き出し、最高の技術を発揮するには、土壇場になればなるほど心の支えとなるものが必要なのでしょう。そんなことを改めて確認することができた今回のテーマでした。

もちろん、今回出させていただいた言葉だけが私の思い出の言葉ではありません。もっと紹介したいのですが、私が思っているほど役に立っていない、むしろ役に立たない言葉を投げかけて来たのかも知れませんので…。

読者の皆さん、思い出に残る一言を、是非、掲示板に書き込んでください。
書き込んだ方も、それを見た方も“生きる力”がよみがえります。



次回は【弥生・春分】、テーマは、「新たなる旅立ち」です。

Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo