Vol.71 2010. 水無月
四季の風 ―乗って、向かって、横からうけて―」
第6回 (2010年6月8日)
 

T  スポーツとともに半世紀


 (5)朋友との邂逅   (※表題を変えました)    

 

 同じ考えを持つ者に出会うなどということはおおよそ奇跡に近い。
 しかし、その奇跡に出会うこともある。そんなことはめったにないはずであるが、実は私は体験している。
 
 朋友という二文字を私なりにこじつければ「生きる上での基本の考えの中で、同じ感性を共有する人」ということになる。

 今から40年ほど前の話で恐縮だが、大学に入学してからしばらくたったある日、友人との会話を通じ、自分自身が数ヶ月前から比べずいぶん専門的な話をするようになっていることに気づくと同時に、ある人間とだけ共通の価値観を保有していることを発見した。
 
 人間の価値観はそれぞれに小さなパーツである。
 小さなパーツが入り乱れ、他人から見れば矛盾を起こしながら(本人は決してそうは思っていない)、一人の人間の精神を形作るものとして、あたかも構造式のごとくある。
 一人でも複雑な精神構造式なのであるから、複数の人間が集まると複雑さは怪奇を極め、まとめるなどということはまったくもって困難な作業となる。普通はできない。多くの場合、構造式にはたどりつけないであろう。
 
 それでも、妙に気が合う輩がいる。
 妙に気が合う人物同士は、それぞれが無数に持っている「価値観」という名の小さなパーツを組み合わせ、構造式どころか絵が描かれたり、立体的な形が作られたりするような人間関係が自然とできているようである。
 
 

                                     【邂逅】
 1969年は東大安田講堂事件の影響でその年の東大入試はなく、東京教育大学でも体育学部以外は募集停止であった。私、高校2年生の時のことである。
 そのような、きわめて異常とも思えるような事態が落ち着きを取り戻してきた1970年、私は東京教育大学体育学部を受験し合格、陸上競技部に入部した。
 
 昭和45年(1970)3月、親元を離れ東京に住むという嬉しさはあったが、いったいどこに住むのがよいか、とんと見当がつかずにいた。
 そうこうしているうち、東京教育大学陸上競技部より『新入生集合』のはがきが届いた。後から知った話であるが、合格者名簿から、あるいは在学部員からの情報で、心当たりの新入生すべてに連絡するらしい。
 それは、『3月30日、10時、保谷寮に集合。集合した日から東京に残り陸上部としての活動を始める者は布団を送っておくこと。住む場所が決まってないものは、部で割り振る。』といった趣旨のものであった。
 それを見た家族全員が、合宿所に入らないと陸上部には入れてもらえないらしい、と邪推した。
 「合宿所は厳しいらしいから、下宿にしろ。電話して相談してみろ。」
と父が家族を代表してアドバイスをしてくれた。我が家は決して裕福なわけではなかったが、子どものためには何とか頑張る、との思いが私にも感じられた。

 (せっかくのチャンスなのだから、自由にやりたい。第一田舎育ちの俺が今まで知らなかった人と一緒に住むのは耐えられない。先輩からのいじめもあるかもしれないし…)
 私は意を決し、はがきに記載してある連絡先に電話をした。
 「今度入学することになった者ですが、合宿所でなければ陸上部には入れてもらえないのでしょうか。」
 とたずねると、やさしい声が返ってきた。
 「大丈夫だよ。決まってないのなら、下宿を紹介してやるから、とりあえず保谷寮あて蒲団を送って、集合の日は練習できる準備と当面の生活費を持ってくればいいんだ。それでなんとかなるから。」
 家族全員ほっとした。

 集合当日、新着したブレザーを着て颯爽と保谷寮に到着した私は、埃だらけの玄関に土足のまま上がり、「失礼します」とおそるおそる挨拶した。
 その時である、
 「誰だ?おまえは!ここは下足で上がるところではない!第一集合なのに学生服はどうした。私服で集合に来ることは許されない!」
 「すみません。新入生です。栃木県の佐野高校からきました奥澤といいます。」
 「ああ、お前が奥澤か。わかった。わかったから早く靴を脱げ。」
 「スリッパはないのですか」
 「そんなの後で買ってこい。とにかく靴を脱いで食堂にこい。」
 (ここが大学陸上部の合宿所と称するところか。予想以上に厳しそうだ。まさかそのままここに住めとは言われないだろうな。大丈夫かな…。)と私は心配になってきた。
 食堂に行くと、新入生と思われる者がすでに何人か来ていた。誰もスリッパははいていない。誰の靴下もすでにしっかりと埃を含んでおり、捨てるしかないくらいに汚れている。
 がっちりした上半身をセーターで隠した、いかにもスプリンター風情の新入生らしき男の隣に腰を下すと、その男は、
 「どこの高校でした?入試の実技は強かったねー。」
と丁寧に話しかけてきた。
 「栃木の佐野高校の奥澤です。よろしく!これからは、200mを中心に400mもやろうと思っている。君は?」
 「北海道・札幌開成高校の品田です。自分は100mを中心にやる予定。」
 「最高記録は?」
 「追風参考では10"7で走ったことはあるけれど、公認は10"9さ。前橋インターハイは暑さにやられて準決勝で失敗したよ。」
 「公認は俺も同じ10"9。インターハイはスタートに失敗して、やはり準決落ちさ。」
 などと話していると、
 「静かにしろ!今からオリエンテーションを行う。」
と主務のOさんが切り出し、主将のAさんのあいさつ、ブロック長の紹介があった。その後、陸上競技部の生活を中心に大学生活全般の注意をOさんが長々と話すが、最も知りたい生活拠点の話はいつになっても出てこない。
 (入部して活動していればわかる話ばかりじゃないか。知りたいのはこれからの生活をどうしたらよいか、なのに…)、などと考えていたが、質問を受け付けることもなくオリエンテーションは終了してしまった。
 
 と思ったら、突然Oさんが再度話し始めた。
 「下宿希望者はここに残れ。保谷寮希望のものは部屋割をするから大部屋に移動しろ。あ、それと自宅通学者と住むところが決まっている者は帰ってよい。」
 
 品田も残った。
 今度はJさんという副主務がやさしく話し始めた。こちらに来る前に電話したときに応対してくれた相手はこの人だった、とその時すぐに気づいた。
 「今から下宿先を言うからな。話が終わったら、ここから近い順に俺が案内する。」
 「品田は市川家(いちかわけ)、奥澤は山本家(やまもとけ)。ただし山本家は6月からなので、当分寮の炊事部屋にいてくれ。」といった案配で、Jさんは次々と下宿先を発表した。どうやら、下宿先は○○家という表現をするらしい。すべてを発表するとJさんは立ち上がった。あらためて表情を見ると難しそうな顔をしているのだが、難しそうな顔がまったく似合わない。普段はやさしい人かもしれないな、などと考えていると、いつの間にか自分緊張も和らぎ始めていた。
 
 「それじゃー、ついてこいや」
 Jさんはにこにこしながら下宿案内を始めた。
 後ろからついて行く者全員がおそらく同じ思いだろう。誰もが不安そうについて行く。
 とりあえず私も山本家の場所だけは確認する必要があったので後について歩き始めた。すると、100mも歩かないうちに山本家に到着してしまった。何と、寮の並びである。寮はグランドに面しており、炊事部屋は100mのフィニュッシュ地点であるが、私が住むことになった山本家は100mでいえばおおよそ30m付近にあったのである。
 山本家の廊下がグランドから丸見えである。ということは、山本家の廊下はまるで観客席ではないか。ここに上級生2名と新入生2名が入るという。
 ひとり暮らしのアパートか賄い付きの下宿を考えていたので、予想していたことと現実があまりにも違っていることに気付いたが、もうどうにもならない。
 よくよく考えれば、大学の運動部がアパートの斡旋屋をするわけがないのである。仕方なしに、私は炊事部屋と呼ばれる部屋に戻り、届いていた布団と持参の荷物を部屋の隅におき、スリッパを買いに出かけた。
 (そうか、下宿とは一軒家を借り切り、そこを利用した合宿所のことか。それで〇〇家などと表現するのか)と思いながら歩いていると、
 「おーい、奥澤!」
と呼ぶ声がする。品田であった。品田はこれから生活するこの街を覚えるため散歩に出かけたという。
 その時、不思議と(こいつとは一生付き合えそうだ。)と思った。
 
 人付き合いの良い品田は買物に付き合ってくれた。買い物といっても、スリッパと歯ブラシ、歯磨きだけだった。買い物を済ませ、品田と一緒に街の中を散策し、生活圏を確認した。多少疲れを覚えたので互いの新しい住み家に帰ろうと歩いていると、
 「俺の下宿にちょっと寄って行くかい?」
と品田が言った。市川家に寄っていかないかということである。(どうせ寮に帰ってもなにもすることはない)私は寄っていくことにした。
 
 市川家は4年生1人、3年生1人、2年生1人、そして新入生が2人という構成らしい。入って驚いた。とにかく古い、汚い、暗い。品田のこととはいえ、住めば都になれるかどうか心配なくらいだ。
 「仕方ないさ。こんなもんさ。」と品田は達観している。さらに、
 「さっき少しだけ話をしたのだけれど、先輩がやさしそうな人ばかりだ。それだけで最高さ」と言った。
 市川家に上がりこみ、しばらく話しをしているとNという先輩が自主トレを終えて帰ってきた。私が自己紹介をすると、
 「おう、お前もここに入ればいいんじゃないか」と聞いたこともないようなアクセントで話しかけられた。Nさんは鹿児島の出身らしい。
 「いや、自分は決まっていますので」
 「そうか。どこ?」
 「山本家です。」
 「ああ、今年からできた。あそこに卒業が延期になったPさんも入るらしいな。本当はここに住みたかったらしいが、Kさんが現役の連中の規律が乱れるからということを理由に『駄目だ』と言ったらしいぞ。」と聞かないことまで教えてくれた。
 そんなことより、私は先ほどから壁に書かれた達筆な字に驚きを隠せなかった。
 そこには『出せ!若人の底力』と書かれている。
 伝説の大先輩、当時C大学監督のS先生が学生時代に書いたものらしい。ついでにこの下宿もS先生が開拓したとNさんが教えてくれた。
 「『出せ!若人の底力』か。」と私はつぶやきながら、(でも底力ってなんだろう、どうしたら底力を強くできるのだろう、どうしたら底力を出せるのだろう)と考えていた。考えながらも、電気に打たれたような思いはなかなか消え去ることはなかった。
 しばらく見ていたが、いつのまにか視線は先輩方の机の上に注がれていた。さすがに体育学部の陸上部だけあって専門書が数多く置いてある。
 (そうだ。こういう勉強ができるのだ。この大学を希望してよかった。全部読んで卒業するぞ。)、とうれしい現実に引き戻された途端、Kさんの机上に羽仁五郎・著の「都市の論理」が置いてあるのを見つけた。そのころあまり良く言われていなかった体育系大学や体育会であったが、小さな希望がわいてきた。
 
 以上、私の大学生活第一日目の話であり、品田との出会いの日であった。
 
 

                          【邂逅以降の学生時代】
  彼とは、大学3年生からの2年間、市川家から歩いて1分のところにあり、ちょっと品よく高級で、当時の合宿所では珍しい個室で過ごせる場所に移動し一緒に生活した。
 その合宿所は歴代選ばれし者のみ(?)が入ることができるエリート合宿所と言われていた。  
 
 その合宿所は材木屋さんがオーナーで、夜は敷地内をジャーマンシェパードが闊歩し、いい加減な人間が入り込むことを拒んでいた。犬の名はチコ。我が家の愛犬リンキーもジャーマンシェパードとは言え、ここでの話に犬はいささかも関係ない。
 
 もっとも、材木屋に入る者を選ぶのはその合宿所の先輩諸兄だから、選考方法はほとんど好みだったのかもしれない。事実我々が卒業前に選んだ後輩もそうだった。
 しかし、その合宿所で生活した大部分の先輩が大学の教授になり、日本中でリーダーとして活躍していることを考えると、出世合宿所だったのかもしれない。我々を除いて…。
 
 そこでは毎日夜遅くまで勉強会が開かれ、同僚や後輩が誰かしら来ていた。我々も入宿前からたびたび通っていた。
 今から思えば、市川家にせよ材木屋にしろ、松下村塾のようなところだったのである。
 

 学生時代の邂逅は人生の色を決定的にする。
 学生時代のポジションはその後の運を左右する。
 学生時代の生活は何かを作り出す基礎である。
 
 

                                  【邂逅と運】 
 あれから40年たつが、私にとって品田は信頼できる朋友として隠すことなく意見を出し合える仲であり、兄弟以上の付き合いが続く仲でもある。
 彼との付き合いは、私の行動思考における絶対的自信の裏付けにもなっている。
 
 現在彼は札幌市立豊明高等養護学校長として、陸上競技以外でも活躍している。
 ついでと言っては何だが、濃飛倉庫運輸所属で本年度日本選手権走幅跳3位の品田直宏選手の父である。
 

 昭和45年3月30日。その日の出会いがなければ、今の私はないであろう。
 人との出会いは運である。
 私が宮澤賢治の「雨ニモマケズ」を好んでいる理由の一つに、詩の最終部分「サウイウモノニ ワタシハナリタイ」の「『サウイウモノ(そういう者)』とは品田である」ということがある。
 
 彼とは隠し事なくスプリントを語ってきた。
 大学時代はもちろんその信頼関係は今も変わっていない。
 指導者になりたての頃は8mmに練習方法(主にドリル)を収め、互いに郵送して研究し合った。それがVTRになり、DVDになっても未だ続いている。
 
 「人生は無限に近い。われわれの知らない、どれほど多くの真理が、美が、あるいは人間が隠れているかわからない。それを放棄してはならない。」
 とは、亀井勝一郎の有名な言葉である。
 それを我々に置き換えて考えればこうなる。
 「未だ完璧に知ることのできないスプリントの真理、正しい方法を実践したときにのみ見ることのできるスプリントの美、そしてスプリントに携わる多くの逸材(選手そして指導者)との出会いという価値観を求める。」
 つまり、品田に会っていなければ、青戸をはじめ岩手の千田先生には会えなかったといことになる。否、会えても付き合うことはできなかったということが正しい。なぜなら、品田に会い、互いに切磋琢磨し、その結果スプリントについて自信をもって語れるようになったからこそ、多くの選手や指導者と付き合うことができるようになったからである。
 
 今、我々にとってスプリントに関する体験はスプリントに留まらず、人生の中における価値観としてわが身の周りを浮遊しながら、あらゆることの物差しとなって活躍してくれている。
 
 
 「スポーツが好きでたまらない」と物心ついたときから感じていた。
 「スポーツを学ぶことが自分に合っている」と思い大学を選んだ。
 そんなことを思い続けたからこそ宇宙的な出会いがあった。
 この出会いは偶然ではない。奇跡的な必然であり、この出会いが我々の運命の中心となって存在している。
 
 
 以前函館を歩いた際、青柳町において亀井勝一郎の文学碑と出会った。
 そこには「人生邂逅し 開眼し 瞑目す」とあった。
 邂逅は済んだ。
 開眼はこれからである。
 瞑目はさらに先のことである。
 
 まもなくスポーツとともに半世紀。
 間違いをやらかす年齢ではなくなってきた。
 というより、30年以上指導者人生を歩んできて間違えたことを教えたらはずかしい。
 おそらく彼も同じ心境であろう。
 

 「箱根に始まり有馬で終わる、我がスポーツ歳時記」
 今あらためて幸せを感じる。
 となると、この幸せを誰かに伝承していかなければならない。
 なぜならば、
 「スポーツに関する職業に就きたい」
 と語りあった、保谷での生活をいまさら振り出しに戻し、無に帰すことはできないからである。
 

 ここまで品田との出会いを書いてきたが、妻幸子もまったく同様であることを申し添え、出会いは運命ということをあらためて強調し、この稿、脱。
                                   
               
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