Vol.68 2010. 弥生
四季の風 ―乗って、向かって、横からうけて―」
第3回 (2010年3月8日)
 

T  スポーツとともに半世紀
  

(2)発育発達とスポーツ
  
                         【子どもたちとスポーツ】
  そもそも、人間が成長するうえでスポーツが果たす役割はどれくらいあるのだろうか。形や数値からの確認はわからないかもしれないが、大きな役割を果たしていることは間違いないはずである。それゆえ、われわれスポーツ関係者はスポーツを通して子どもたちに何を与え、何を伝えようとしているか、といったイメージを持つことはとても大切なことだと思う。
 大人のエゴで子どもたちの発育・発達を曲げてはいまいか?送らせてはいないか?取り返しのつかないことをしてはいないか?いつも気になっている。
 博物館や美術館で子どもたちが得るのと同じような感動を校庭で与え、子どもたちが価値観を構築するための援助をしているか?と聞かれると、私自身黙り込んでしまうかもしれない。
 「イチローはすごい」「ボルトは速い」と言えば、子どもたちは共感するかもしれない。しかし、校庭で実際に汗をかきながら行うスポーツが人間形成に大きく影響を与えると考えれば、言葉だけではその場しのぎと言われても反論はできない。
 
 大人がスポーツを通して子どもたちに何かを与えたいなら、「私たちはこのような目的をもって子どもたちを指導しています」という明確な意図をもっていれば、子どもたちは光り輝き、生涯にわたってスポーツを大切にする人間に育ってくれるのではないだろうか。そのあたりをいい加減にしておくと、スポーツが違った方向に行ってしまうような気がしてならない。

 
  独り言その1
 前章で書いたが、スポーツ好き人間の私を作ったものは個人的なスポーツ体験である。 
 ところが、私には小学生や中学生を継続して指導した経験はない。
そんな私にも、一度だけ意図的・計画的に指導しようとしたことがあった。それは自分の二人の子が野球を始めてからの数年間のことである。そうは言っても、わが子を教えたころのことを考えれば、薄っぺらなもどきものを糊付けした、付け焼刃であったことは否めない。
 それまでに、小学生や中学生に対してスポーツを指導した体験は皆無といってもよい。もちろん、小学校の出前講座への協力や、中高の陸上競技合同練習会等で指導したことは何度もあるが、そのようなことは本格的指導とは言い難い。
 子どもたちが学童野球に夢中になっているころ、私は私なりに発育発達について真剣に考えていた。
 1992年4月から1993年3月まで、筑波大学西藤研究室に内地留学していたからである。このときから、私の生涯の研究テーマの一つに「スポーツ活動と発育発達」が加わることになった。たとえ、“田舎の研究、京の昼寝”と言われようと…。
 

             【スポーツと発育発達・主に運動能力に着目して】
 緊張の面持ちで西藤研究室に入室した私に教授から出された最初の課題は「スポーツが発育発達に及ぼす影響について」であった。
 それから1か月間は、手当たりしだいに文献を探し、自分が納得できるものを探し求める日々が続いた。もちろん教授の話は“物言う参考文献”として取り入れさせていただいた。文献とは自分が信じ、自分の人生の中で役に立てることができてこそ本物の文献なのである。
 多くの文献の中でも、「教授の話」「学校体育論(金原勇)」「乳幼児と障害児の発達指導ステップガイド(小林芳文)」が印象に残るものであった。これらを文献として活用し、私なりに10歳前後までの発育発達と運動・スポーツの関係についてまとめることができ、その概念は今に続いている。
 

 [誕生]
 人は誕生しても数ヶ月間は反射的行動に頼らざるをえない。当然、人としては未熟であり、ある意味無能な状態からの出発であるが、驚くべき成長をしながらそのような状態が1歳位までは続く。
 この時期には、寝ながら手足を動かすことで体幹が鍛えられている。また、何度も寝返りをうつことにより、全身のバランスを発達させていることも知っておく必要がある。
 親は安全の範囲内で物を持たせるべきである。そうすることによって、彼らは握力が自然と身に付くだけでなく器用さも養われるはずである。
 

 [保護と自由のはざまの第一段階]
 生後1〜2歳位になると四つん這いなどの未熟な運動を経て独立歩行をするようになり、人間らしさへの第一歩が始まる。いよいよ初歩的であるが運動といわれる段階に入る。
 捕まり立ちができた、歩けた、と言って大喜びするのは人の親として当然である。中にはこの頃の成長の度合いでスポーツの才能があると信じてしまう親もいる。
 この時期は四つん這いで多く歩かせたり、物を投げさせたり、できれば物を蹴らせたりしながら、四肢を発達させることが大切である。守りすぎず放り投げすぎず、その塩梅が難しい時期がはじまった、というところであろうか。

 
 [保護の自由のはざまの第二段階]
 そうこうしているうちに、あっという間の小学校入学である。私などはこの時期の日中はあまり家の中にいなかったような記憶があるが、最近の子どもはかわいそうである。子どもの気持ちとしては家の中でゲームをすることが楽しい。大人としてはそのほうが安全であるから、両者の思惑(?)が一致している。外で遊ぶにも人工的な場所しかないから、遊びが限定される。つまり、遊びを作れないからルールも作れない。そんなわけで、子どもたちの中に遊びを教える親分や番長も出てこない。
 本来、この時期は基本的運動習得の段階である。実は、この段階は小学校低学年まで続く貴重な時期であり、この時期こそ生涯にわたって必要な運動の基礎を習得するため積極的に運動しなければならないのである。
 具体的には、移動型としての走運動や跳運動、平衡型としては遊具を使ったバランス運動、操作型として投運動、総合的なものとして、子どもたちの実態に応じたルールで行う球技などがある。
 とにかくこの時期は子どもたちだけで遊びができなければだめだ。親は子どもたちの安全に配慮し、子どもたちをじっと見守る度量が試される、そんな時期である。
 

 [スポーツを通して自立への道]
 運動とスポーツの区別は難しいが、小学校高学年の子どもたちが行う運動の大部分はスポーツ活動としての認識が高くなってくる。この時期は多くの運動技能を習得するのに最適な時期と位置づける必要がある。多くのスポーツに出会わせ、別々のスポーツであってもその都度体験するスポーツの基本的な技能を習得させることが将来につながる。
 注意しなければならないこととして、多くの子どもたちが今やっているスポーツに適性があってやっているか、興味があってやっているかは本人にもわからないことがほとんどである。
 この時期の目標は、できるだけ多くのスポーツを体験させることであり、それらを通し多くの神経回路を冴えわたらせ、器用さを育み、自信をもたせることである。
 神経回路をどんどん広げ、スポーツの楽しさを味わわせながら成長させてやることが大切だ。スポーツの技能は異なるスポーツでも似た局面が出現することが多い。例えば、投動作はバレーボールのアタックやバトミントンのスマッシュ、テニスのサーブなどで使われる動きに似ているし、バスケットボールのランニングシュートやドリブルシュートはまさに跳躍系の動きなのである。
 このころの体験はスポーツを行う上で一生の財産となるはずである。

 
 独り言その2
 一般的に言われる体力とは「行動体力(基礎体力)」のことであり、その中には「調整力(神経系)」「柔軟性」「筋力(パワー)」「持久力(全身・筋)」などがある。このことは間違いないし、多くの人の体力の概念を形作るものである。
 しかし、体力というものを俯瞰してみると随分違う概念が浮かび上がってくるはずである。
 体力を俯瞰してみると、「抵抗力(防衛体力)」「生命力」「活動力」「精神活動力」などがあることに気付く。よく見ると、それらが前述の「行動体力(基礎体力)」を支えているのがわかる。さらによく見ると「行動体力(基礎体力)」が「専門的体力」の基礎となり競技力向上や競技力発揮の中心的役割を果たしていることにも気付かれると思う。
 ところが、体力はそれぞれの要素が独立して発達したり、独立して活動したりするわけではない。なぜならば、体力は「技術」や「精神」とも深く関わっているからである。
 このことは人間が成長するためには当然のことであり、体力とは小さいながらも立派な宇宙なのだ!と、私は言いたい。
 
 ある日しばらくぶりに知人の子どもにあった。
 「あれ、いつのまにか大きくなってるねー」と声をかけた時、
 「大きくなったのは体だけではないよ、強くなったのも体力だけではないんだから」と子どもたちから反論されるのではないかと思うことがよくある。
 子どもたちの発育発達を助けるのは、指導者の“子どもたちの未来を予測してやる感性”ではなかろうか。“子どもたちは未来からの留学生”である。現代の科学レベルで測定した数値が全ての解決策となるほど、人間の発育発達は単純ではない。
 単純ではないからこそ多くの研究者に期待しているのだが、私が学生時代に得た知見と今もあまり変わっていないようだ。となると、その知見に感性を加えて見てやることしか解決策はないのかな、と思ってしまう。
 

             【スポーツと発育発達・おもに社会性に着目して】
 人は誕生してから、「言葉を覚え」「コミュニケーションを駆使し」「数を理解し」「序列を知る」中で、「ほめられ」「しかられ」「知恵をつけ」「仲間をつくり」「ルールを理解し守る」といった段階を経て大人になっていく。むろん、その間「早寝、早起き、朝ごはん」などで代表される生活習慣の確立もなされていくのが正常な成長といえるものなのである。
 ところが、最近の子どもはそのような成長をしているとばかりは言えない。それは大人がそうさせたのではないか。大人が“子どもは大人のミニコピー”などと考え、自分たちの価値観に同化させた結果である。実は子どもたちは大人とは全く別の価値観で生きていると思う。ただ大人がそのことに気付いていないだけである。
 
 「ルールを理解し守る」ことができなければスポーツはスポーツとして成り立たない。しかしそれだけではない。「ルールを理解し守る」ということには「礼儀を知り」「自己を知り」「意思を伝える」ことから、「人々との協調」や「世界の平和」に貢献することまで含まれていなければならないのである。
 ただ、私はもう少し欲張りである。スポーツは学問であるからだ。スポーツをすることによって培われることはまだまだ沢山あると思っている。例えば、「トレーニング内容を理解し実践する」「トレーニング内容を計画し実践する」などがあるが、これらのことは知智を増すことにつながり、究極的には社会生活でも役立つはずである。スポーツ馬鹿にさせたくないなら、「体」の成長が遅遅としてきても、「心」「技」は高め続けていかなければならないのである。
 発展途上の子どもたちにはなおさらである。身体の発育はもちろん、精神が発達するよう刺激をいれなければならない、と私は信じている。そして、そのような刺激を感じ取る力を育むこともスポーツの目的ではなかろうか。
 
 感動は子どもたちを確実に成長させる。「すごい!」と感動することは、スポーツを「見る」「聞く」「行う」だけでは完結しない。やはり指導者の本物の考え方に感動し、感性が磨かれ、人として成長していくのである。
 

 独り言その3 
 生活習慣が確立されてくれば、短期(一週間)・中期(一か月)・長期(一年)の生活設計などのイメージが浮かびやすくなる。
 しかし、現実を見ていると「時間」の認識ができない若者が多い。そういう者に一日の練習時間や学習時間の管理を要求しても無理というものだ。であるならば将来の生活設計を計画し実行しようとすることなどは至難の業なのかもしれない。
 そんな彼らは人生という道程でつまずいているのである。 
 職業柄学校の内情を話せば、教員はつまずきを教科の理解度として認識する傾向が強いが、実はつまずきはいろいろなところで起きている。つまり、多くの人間がどこかでつまずいているのであるが、多くの者は自分がつまずいていることに気づいていないだけなのである。
 私などは内地留学させていただけなかったら大変なつまずきをしたまま今に来ていると思う。慣れ親しんだ組織以外の方々とのコミュニケーションスキル、単身赴任による健康安全スキル、何よりも自分の天職の発見(言い換えれば現実的な生活設計)など、数え上げればきりがないくらいのつまずきの回避方法を知ることができた。
 
 スポーツ指導の最終目標は自立での成功にある。自立するには自己のつまずきを発見できる感性が必要だ。そんな感性を養うためには武者修行が何よりだ。若いころから外に出て内を確認し、そこに発生する矛盾を感じ、外と内とを同化させるよう努め、自分を変え、生きていく上での軸をつくり、自立の方向を探すことが大切だ。「かわいい子には旅をさせろ」と言うではないか。旅(旅行というわけではないが)に出れば夢は世界を駆け巡り、宇宙観を体験できるようになるはずだ。それが年齢相応の自立になり、その強さは本物だ。
 

                         【ジュニアとシニア】
 ついでにもう少し年齢を上げた話をしてみたい。
 
 優秀な選手を計画的に育成するためにはタレントの発掘から始める必要があると言われて久しいが、発掘の状況を検証してみたら、その確率はいかがなものであろうか。私の周りでも英才教育と言われるようなやりかたを行った事例を何度か見聞きしてきたが、「一貫指導」あるいは「一環指導」にはほど遠く、「早期専門型指導」であり「囲い型指導」であった。
 
 筑波大学内地留学時代にジュニア競技者について興味を抱き、こちらの分野も研究した。

 その結果、世界一流の短距離走者のジュニア時代の記録と生涯最高記録を比較すると、その伸び率はおおむね3%であった。総じて、早期より専門的なトレーニングを継続的に積み重ねた選手の多くは、ジュニア期を経て専門的トレーニングを中心に行わなければならなくなったときに弊害が表れる。
 「18歳以前にその種目の最高記録に達した陸上競技者は特別な事情をのぞいて間違ってトレーニングされてきている」のである。
 「理にかなっていると思われる動作」「笑顔で終われる無理のない負荷」「強い部分と弱い部分を見極めたうえでのバランスのとれた内容」を根底においた考えで「身長の年間最大発育出現時期」(身長の伸びの停止時期ではない)を推察しながらトレーニング計画を立てること」がジュニア指導の基本である。  
 理想のジュニア指導者とは「将来を見越しジュニア時代の競技力をどこまで高めたらよいか」ということを知っている人なのであり、彼らは「心技体の土台を作る発育発達著しい時期に何をすべきか」ということを把握しているのである。
 

 念のため、JUVY(旧S&J)出身で後に日本代表になった主な選手の高校時代の最高記録と生涯記録を検証してみると、以下の通りである。
 新里敏幸 11”11 → 10”68 4.0%向上
 栗原浩司 10”74 → 10”44 2.9%向上
 大野功二 10”67 → 10”35 3.1%向上
        21”22 → 20”74 2.3%向上
 齋藤仁志 10”79 → 10”35 4.3%向上
        21”68 → 20”42 6.2%向上
 ただし、齋藤は浪人中に10”52、21”37で走っているからJr.時代との比較では現在、1.6%と4.7%の向上率となる。さあ、齋藤はこれからどのような生き方をして、どこまで記録を伸ばすことができるか、注目に値する。
 あくまでも私個人の意見ではあるが、齋藤をはじめとした現在の日本スプリント陣から数年先に日本最初の9秒台、19秒台が出るような気がしてならない。
 
 それにしても、これまで“結果的に高校時代の記録が生涯記録になってしまった選手”を何人か見てきたが、今あらためて指導者の責任問題を痛感する。クラブチームを運営する者として、そのようなことだけは避けなければならない。
 

 独り言その4
 大学で「一個人の成育歴」を徹底的に研究分析し、トレーニングに生かすことはむずかいいことなのか。そのような研究は研究として認められないのか。
 研究とは一般的なものでなければならないのか、個人の追跡をした程度では万人には認められないのか。研究費は出せないのか。
 日本の競技力向上を思うとそのような疑問感や抵抗感がふつふつとわきあがる。
 
 そもそも、スポーツ指導に定理などあるはずがない。そのことは、人の顔のつくりはほぼ同じだが、全く同じ顔の人はいないがごとく、似た練習はあっても、微妙に違ったものでなければならないのである。
 だからこそ、中途半端に万人に有効なものでなく、個に応じたものでなければならないはずでなないのか。
 
 一貫一環指導をすることはとても大切なことである。だからこそ「どのような練習をし、どのような指導を受けてきたか」ということを置き去りにしては上手くいくはずがない。
 人が受精し、誕生し、成長するということは神秘な世界、宇宙的なことなのである。「何をしたから、今の某がある」ということを十分検証しない指導者のところでは選手は育つはずがない。
 今の日本の多くのシステムは、技術的に行き詰まり、体力的にバランスが崩れ、精神的に迷いが生じたときでさえ、昔行った練習を振り返るなどということはしない。そのことは「現在の練習手段が間違っている」と言っているわけではない。若いころの練習を確認し、自分の成長を思い起こすことによって、再び成長の流れを発見できるのではないだろうか。
 跨ぎ跳から正面跳へ、正面跳からロールオバーへ、そしてベリーロールへと走高跳の跳躍方法は変わってきた。そして今では背面跳以外で競技会に出場する選手は皆無である。幾多の時間をかけて背面跳が主流の走高跳になってきたが、その過程の中で心技体がどのように変わってきたのか確認したうえで背面跳びの優位性を検証しようとする者は少ない。すべてのスポーツで同じことが言える。そのようなことをやらなければ伸び悩んだ時の打開策は生まれないはずだ。人間の成長も宇宙の進歩も時間的な差はとてつもなく大きいが、同じ歩みと考えてよいのではないか。
 
 私はジュニア時代をJUVYで過ごした選手が自分の成長の跡を検証し、これから何が必要なのかを考えるためにも、これからもJUVYに戻って昔の練習をしながら将来の糧にすることを願ってやまない。
 それが本人の未来のためだからである。


               
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
Vol.43「白と青、そして遊」
Vol.44「36−10」
Vol.45「この卯月に思ったこと」
Vol.46「スプリント」
Vol.47「”運”と”付”」
Vol.48「純粋にひたむきに」
Vol.49「オリンピックへの興味・関心」
Vol.50「ラストゲーム」
Vol.51「氣づき」
Vol.52「私見・学校というところ」
Vol.53「チーム」
Vol.54「遠征講習会」
Vol.55「蔵出し その1」
Vol.56「蔵出し その2」
Vol.57「Enjoy Baseball
Vol.58「ふるさと
Vol.59「夢舞台に向かって」
Vol.60「評価」
Vol.61(臨時増刊)「桂月・秋立つころ〜北上にて」
Vol.62「「古都・奈良でのはなし」
Vol.63「「今の若いものは・・・」
Vol.64「「朱夏の61年間と白秋2009」
Vol.65「「2009日本スプリント地図」
Vol.66「四季の風ー乗って、向かって、横からうけてー第1回」
Vol.67「四季の風ー乗って、向かって、横からうけてー第2回」
Vol.68「四季の風ー乗って、向かって、横からうけてー第3回」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo