Vol.67 2010. 如月
四季の風 ―乗って、向かって、横からうけて―」
第2回 (2010年2月8日)
 

T スポーツとともに半世紀


(1) 個人的スポーツ体験

                         【スポーツを好きになる】
 昭和26年12月30日に生まれた私であるが、就学前、身体は小さく足も遅かった。
 そのころ、私の周りで行われていた遊びは“鬼ごっこ”“缶けり”そしてなぜか“リレー”であった。近所の子どもたちは学校が終わると我が家の庭に集まり遊び興じ、どこかの家から「御飯だよ!」の声がかかるまで延々と続いた。もちろん、私も物心ついたころから一緒になって遊んでいた。だが、なぜか足が遅い。同じ年の女の子にも勝てない。山にメジロを取りに行ってもすぐに皆から遅れる。体も小さかったが理由はそれだけではなかった。体力がなかったのである。食も細いし、少し食べ過ぎると体調を乱す、いわゆる虚弱体質というやつであった。
 そんな子どもであったが、体を動かすことは決して嫌いではなかった。
 父が“三好青年団”なるチームを編成し、その世話役(今でいう監督なのだろうか?)として大沢駅伝に出場していた。そのような関係で就学前から駅伝大会当日は父の自転車の荷台に乗り伴走をしながら大会に参加するという楽しさを味わっていた。
 「見てろ。今、日大の選手が来るから。走るつーより飛んでるんみてーだから」と、父は自転車を路傍に止め、私を降ろしてから話しかけてきた。言われなくとも、父が折り返し地点の手前で自分の指導するチームの伴走をやめ、自転車を止めたことくらいは何となくわかっていた。はるか先を走る特別参加の日本大学の選手が折り返してくるところを私に見せようとしていたことくらいは…。
 「きた、きた」という父の声は興奮していたような気がする。そして私はといえば、日本大学の選手が飛ぶように走り抜けるのを目のあたりに見てぞくぞくするような不思議な気分になっていた。「父ちゃん、すげんね」それだけ言うのが精いっぱいであった。
 “スポーツの原点であり基本”でもある“かけっこ”。多くのスポーツで戦法の手段として、トレーニングの手段として必要不可欠である“かけっこ”の魅力に取りつかれたのはその時だった。日本大学の某の脚からは無駄な肉はそぎ落とされ、とぎすまされていた。規則正しい呼吸音が聞こえ、額に光る汗が見えた。瞬時ではあったが、きらきらと輝きを放ちながら前方を見つめる目にも圧倒された。そしてこの辺では見たこともないような恰好の好いランシャツとランパン。私の受けた最初のカルチャーショックであった。
 私の足は遅かったのであるが…。

 
 独り言その一。
 今の子どもたちに駅伝を自転車で伴走する、などと言っても信用できないであろうが、本当の話である。しかも当時は未舗装である。振り落とされないように父の背中にしがみついていた記憶は鮮明に残っている。
 あの時の胸のときめきは今に伝わる。今年も箱根駅伝の観戦に出向いた。もちろん、松永車に同乗しての話であるが、その時味わった胸のときめきはあの時と同じである。
 現在の子どもたちにも臨場感をともなった感動を味わわせてやりたい。もちろん大人にも…。それもスポーツ振興である。

 
 独り言その二。
 長男の将司は小学校1年から箱根駅伝観戦に同行しているので今年で25回となる。
 途中観戦し、車で箱根に先回りするのが25回のだいたいのパターンである。
 「杉どん(我が家にちょくちょく顔を出していた大阪出身で早稲田の杉本和之をなぜか子どもたちはそう呼んでいた)が顔から血を流してたけど大丈夫かな?」と、将司。
 「大丈夫だよ。最短距離を走るためコースにはみ出している木の枝にぶつかりながらここまで走ってきたんだ。走っているときは痛みなんか感じないもんだよ。」と、私。
 杉本は2年生の8区で区間賞を獲得、翌年は山を登った。その年、5区の声かけをするため残り3km地点で待っていた時の情景を将司は今でもはっきり覚えているという。
 野球の指導者となった今も、25年間50日間の体験が役に立っていることは間違いないはずである。
 陸上競技に限らず本物の姿を見ておくこと(親からすれば見させておくこと)は絶対に必要だ。親の価値観だけで競技種目を決めてしまっては子どもの視野は狭くなる。子どもの視野は、それを取り込む感性は、大人の想像を絶するほど広くて大きい。そのような感性を育まないことは大人の責任である。


 
                          【主体的に練習をする】
 小学校3年生の運動会を一か月ほど前して、父から
 「康夫があんまり遅いので、運動会はゲブンガワリー(おもしろくないといった意味の方言)から練習しろ。毎日八幡様の階段を10回上がれ」
 と命令された。
 兄の足の速さは学校だけでなく近隣でも有名になっていたころである。兄には馬鹿にされるし、自分でもかけっこをやるたびに(かっこわるい)と思ってはいたが、何をするでもなかった私は父の言葉に素直に従った。小学校3年生の私は毎日学校から帰ると裏の八幡様に行き、ただ一人階段登りを始めた。
 そして運動会当日、何と前年まで後ろのほうを走っていた私がいきなりブッチギリで勝ってしまった(と表現したいほどの出来事であった。)のである。
 そうこうするうちに幅跳びをやっても高跳びをやっても、ボール投げさえも(小さな学校ではあったが)一番になっていた。何よりも遊びが変わってきた。鬼ごっこや缶けりはいつの間にか物干竿をポール替わりにした棒高跳に挑戦するようにまでなっていた。体を動かすのが楽しく、校庭や庭ではあきたらず、活動の場は山や川にまで広がっていった。
 もちろん野球にも夢中になっていたが、運動会が近づくとひとり八幡様に足しげく通った。一度味わった勝つことの喜びを手放したくなかった、負けたくなかったのである。
 
 これらのことは現役時代の考えはもとより、指導者になってからの私の指導の原点になっているといえば大げさか。すなわち、
 「自ら行う練習は嘘をつかない。」
 「プライドは行動の源である。」
などの心理的な部分はもとより、
 「筋持久力の基礎は人工的競技場での練習だけでは培えない」
 「スプリントの基本の一つにパワーがある。」
などの身体的な部分に関する思いである。
 

 独り言その三。
 「函館の冬の遊びったらスキーしかないのさ。小さなころからスキーの板をかついで斜面を登りそして滑降していたんだ。これによって、厳しい練習に耐えられる強靭な体力が培われたのではないかな。」と筑波大学の宮下憲先生が話すのを聞いてなぜかホッとした。
 東海大学の高野進さんも山道でかけっこ遊びをしたことが競技生活に幸いしたという。
 宮下先生や高野さんの練習は遊びの中での苦しさや楽しさであり、まさしく“泥臭い”ものである。しかし、競技者として本物の強さを身につけるためには、彼らのように生活に密着した運動が必要なのではないか、とつくづく思う今日この頃である。
 大人は人工的なトレーニング環境から子どもたちを解放させてやることを知っておく必要がありそうだ。

 
 独り言その四。
 県教委に勤務していた頃、担当者数名で『望ましい児童のスポーツ活動』なる冊子を作成し配布したが、今あらためて見てみると、“きれいすぎ”な気がしてならない。(この件、次章に書く予定。)
 もともと子どもたちのスポーツ活動には興味を持っていることから、時々学童野球や子どもの陸上教室などを遠くから見ることがある。そして見るたびに驚く。なぜかと言えば、多くのチームで、大人がやるような専門的な練習をそのままのやり方で子どもたちにやらせている、からである。それもかなりハードに。しかも、多くの場合が大人は何もしていない。示範もしない。口だけが動いている。私から言わせれば「情けない…」である。
 これでよいのか“キッズのチャンピオンスポーツ天国JAPAN”


 
                          【スポーツを観る目を養う】
 私は中学から高校にかけて東京に出かけ、陸上競技に限らず、野球やサッカーの大会を見てきた。もともとスポーツ観戦は好きであったが、旅好きな性格もあり電車に乗って遠出することが苦にならない。もっとも、田舎では“旅好き”などと品よく言わず、「あいつは出好き(でずき)だから」と言われていたが…。
 陸上の日本選手権、ナイター陸上、ユニバーシアード陸上、太平洋沿岸五カ国対抗陸上などのほか東京六大学野球の早慶戦や元旦サッカーなどが印象深い大会である。
 最初のころは一人で出かけていたが、そのうち一緒に行く友達も増え、帰りの電車の中では感想を言い合うようになった。楽しい時間は早く立ってしまうことも知った。
 それにしても、このような体験は私にとってものすごく貴重なものだったと思っている。
 私はこのころから指導者としての道を歩み始めていたのかもしれない。十代半ばから想像力、創造力、判断力などを体内に育み始めていたのだから…。
 子どもは自分の考えていることがどれくらい正しいかという尺度を持ち合わしてはいない。だから、大人からの答えを期待する。自ら考えずに聞いたことを正解にしてしまう。しかし私にとって、すぐに物差しで測ってくれる大人と一緒に試合を見に行かなかったことがラッキーだったのかもしれない。そんな人が隣にいなかったからこそ、自分の考えを自分で飲み干すことができたのだから…。
 大学に入学したとき、(ずいぶんとレベルの低い考えでやっているのだな…)と感じたことは、まったくのうぬぼれとは言えないと思う。私は身体的な才能が精神的な才能について行けずに活躍はできなかった典型的な選手である。競技者としては二流であったが、スポーツを観る目、その目は評論家の目ではなく、現象を見ながら「どのような策が当てはまるか」という指導者としての目が若いころから発達していたに違いない。
 と、これはプラスの見方を勝手にしているだけであり、実際にはマイナスの見方、すなわち「ずいぶん生意気な奴」と思われていたはずである。我慢して見守っていてくれた親や指導者に随分助けられたはずである。感謝せずにはいられない。
 

 独り言その五。
 いまだに許せない、残念なことが一つある。
 それは東京オリンピックの観戦に連れて行ってもらえなかったことである。
 1964年10月。東京オリンピックの女子80mHが行われたその日、佐野市立城東中学校は、陸上競技部員を中心とした生徒50人がバスで国立競技場に向かった。しかし、そのバスの中には中学一年生は一人も乗っていなかった。
 「中学一年生にはオリンピックはわからないから、上級生だけでよい」という馬鹿げた学校の判断がそうさせたらしい。学校の判断というより校長にモノ申した何とも情けない発想しかできない教員の判断であったことは今となれば容易に想像はつく。あの時国立競技場に行かせてもらっていれば、私の感性はまた違ったものになっていたことであろう。あの時国立競技場に行った先輩達の中で、現在(県内に限定するならば)体育教師としてスポーツ関係の指導に情熱を燃やしている方は(少なくとも私の知る限りでは)皆無である。

 
 独り言その六。
 東武伊勢崎線の終点は浅草駅である。
 大学を卒業してからの私は、(帰りはここでどれくらいの時間が作れるだろうか)、などと考えながら改札を出る。ここでいう時間とは、浅草を散策できる時間や駅付近の止り木にとまっていられる時間のことである。
 佐野といっても旧田沼町に住んでいる私は国立競技場や神宮球場に行くのに地下鉄銀座線を利用することが常である。終点の浅草駅でのんびり電車から降り、地下鉄に乗るために階段を降りると、懐かしい匂いが鼻孔をくすぐる。私の中学生のころから今と同じ場所にすでにあった“駅そば”のたれというかおつゆというか、その醤油をベースにした多くの日本人が好む匂いである。その昔、試合観戦後、外苑前から地下鉄に乗り浅草に着くと、必ず食べたのがその“駅そば”である。
 今ではほとんど食べることはない。別の店の誘惑に負けてしまうからである。しかし、別の店の止まり木にとまっていても、あの時と同じ匂いはただよってくる。その匂いがあるかぎり40年前のころを忘れることはない。思い出すこと、それはそばの味ではない。そのころの自分のことである。昔の流行歌(はやりうた)を聞くたびにその頃の自分を思い出しているのと同じである。
 むろん、思い出だけではない。そのころの自分を思い出しながら、今の子どもたちの心に照らし合わせてこれからの指導に必要とされることを考えているのである。
 私の天職は指導者である!と思う瞬間である。

 
 私はこうしてスポーツとのかかわりを持ち、そしてスポーツを好きになってきた。
 今でもやりたいことは山ほどある。本、音楽、写真、……。それでも正月の箱根から暮れの有馬まで一年中スポーツとともに私の人生はまわっている。

               
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
Vol.43「白と青、そして遊」
Vol.44「36−10」
Vol.45「この卯月に思ったこと」
Vol.46「スプリント」
Vol.47「”運”と”付”」
Vol.48「純粋にひたむきに」
Vol.49「オリンピックへの興味・関心」
Vol.50「ラストゲーム」
Vol.51「氣づき」
Vol.52「私見・学校というところ」
Vol.53「チーム」
Vol.54「遠征講習会」
Vol.55「蔵出し その1」
Vol.56「蔵出し その2」
Vol.57「Enjoy Baseball
Vol.58「ふるさと
Vol.59「夢舞台に向かって」
Vol.60「評価」
Vol.61(臨時増刊)「桂月・秋立つころ〜北上にて」
Vol.62「「古都・奈良でのはなし」
Vol.63「「今の若いものは・・・」
Vol.64「「朱夏の61年間と白秋2009」
Vol.65「「2009日本スプリント地図」
Vol.66「四季の風ー乗って、向かって、横からうけてー第1回」
Vol.67「四季の風ー乗って、向かって、横からうけてー第2回」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo