Vol.61 2009. 9. 8. (臨時増刊)
【長月の八】
「桂月・秋立つころ〜北上にて」
 

 八月は一般的に「葉月」と呼ばれますが、このころは月が一段と冴えわたります。
 その月の中に桂の木が生えているという伝説から転じて、桂とは月光をさす言葉でも使われることから、八月を「桂月」とも呼ぶそうです。
 
 ちなみに、桂子(けいこ)さんとか桂(かつら)さんとかの名前の女性に「八月生まれですか?」と尋ねてみてください。
 「あら、どうしてご存じですの?」ということで、初対面の方でも早めに打ちとけるかもしれません。その際、相手も自分の名前のいわれを知っておると、「なんて教養のあるお方かしら…」などとなるのです。
 もちろん逆もまた真なりと申します。
 「ネエネエ、桂一くん」とか「チョット、桂次郎くん」とかもOKのようです。
 「それじゃぁ、桂小五郎も8月生まれか?」などと言い寄るあなた、禁門の変は確かに8月だったのかもしれませんが…。私にはわかりません、なんでも知っている知識を混ぜ合わせ、言葉で攻めよるあなたのお気持が…。
 ほんと、知は大切ですね。
 
【禁門の変に長州を走らせる要因となったといわれる池田屋事件。桂小五郎は、その日池田屋に早く出向いたが同士がまだ誰一人として到着していなかったことから、藩邸にいったん戻ったため難を逃れたとか、池田屋にはいたけれどあっという間に逃げ去った、などと言われている「逃げの小五郎」こと、かの有名な木戸孝允のことです。
 ところで、池田屋事件で最初に戦死した新撰組隊士に出身地不詳の奥澤栄助なる人物がいるようですが、私の御先祖様かもしれません。ずーと気になっています。どなたか情報をお持ちでしたらお知らせください。】


 二十四節季の一つ「立秋」は陽暦では八月八日ころにあたります。
 歴の上では秋とはいえ、例年は夏の盛りのイメージが強く、暑さきびしき折、という頃です。
 ところが、今年の北上は違いました。まるで、JUVYの合宿に合わせてくれたかのように、過ごしやすい4日間でした。
 インターハイ開催中の奈良の街には気が狂ったのかと思うほどのクマゼミが、どこで雨宿りしていたのだろうかという疑問を抱かせる間もなく、雨があがったとたんに鳴きわめいていました。
 ところが、北上に来ると、はて北上にはセミはいるのだろうか?というほど連日静かな日々が続きました。
 そのかわり、某競技団体の選手・監督の鳴き声の喧しいこと喧しいこと。奈良のセミどころではありません。セミは雑音ですが、某競技団体は日本語でがなり立てるため脳に直接響きます。これを直脳式攻撃法とは言わないでしょうが、まさしく攻撃されているようでした。ただし、その非常識極まりない攻撃も、ホテルの食堂と居酒屋のカウンターの2か所さえ避ければよいわけで、選手への被害は最小限ですみました。
 
 今月の四季の風は、時機を逸しないよう臨時増刊号として掲載します。
 ちなみに、9月8日は予定通り掲載します。
 

 
8月1日(土) ・・・ 京都 → 佐野
 
 昨日は早朝奈良の宿を出発し、インターハイの弓道競技決勝トーナメントを橿原神宮で観戦し、急ぎ鴻ノ池競技場に戻り、齋藤に会い、その後4×100mR決勝のアップからフィニッシュまで応援し、盛岡南の7位入賞を見届けてから近鉄奈良駅まで走り、京都行特急に飛び乗り、京都に宿泊という忙しい一日を送った。
 
 暦も変わり、今日から8月である。
 盛岡南、宮崎工業のマイルリレーはどうなるだろうか、決勝に残してやりたい。200mでは佐々木、籾木は通用するのだろうか。などと考えながら、朝の京都を散歩した。
 しかし、すっきりしない。どうも疲れが取れない。
 実は7月半ばから、右眼、右耳、右の歯、右の首筋が痛くて夜もゆっくり眠れない日々が続いていた。酒で痛みをごまかすのだが、酒が切れるころには痛みで目が覚めるという日々が続いていた。風邪薬やビタミン剤なども服用したが根本的な解決にはならなかった。
 
 品田御夫妻と坂本竜馬と中岡新太郎の銅像前で記念写真を撮っていると青戸氏より電話。「200mはどこで見ますか?」と、まだ私が奈良にいると思っている様子。
 「合宿の準備もあるので今日は競技場に行かず帰ることにします。結果はメールで送ってください。」ということで話を済ませる。
 知恩院、南禅寺、永観堂と回るうちに強烈な豪雨。青戸氏から競技中断の連絡あり。なんというインターハイなのであろうか。
 
 12時09分京都発の“のぞみ”で帰途につく。
 クラブハウスでは盛岡南2年連続4×100mR入賞の祝勝会と称し、皆がすでに私の帰りを待っているという。車中うとうとしているうちに田沼に到着する。
 田沼駅には松永さんが出迎えてくれた。帰路考えていた、北上合宿までの数日間の“プチ断食”実行のためにニンジンジュースを購入。
 祝勝会が始まる。大阪にいる盛岡南の小池先生に電話しマイルリレーで予選を通過した佐々木大貴君を激励する。
 合宿の打ち合わせをしているうちに、篠原キャプテンと鈴木寮長も北上合宿に行くことになった。市長の表敬訪問もしてくれるというので、指導に専念したい私としては非常に助かる。何よりも遠征団に勢いがつく。ありがたいことだ。いよいよ、JUVYの本気合宿が始まると感じた。


8月2日(日) ・・・ 久しぶりの佐野

 目覚めると家ではない。どこかな、としばらく考えているうちに、クラブハウスであることに気づいた。昨夜、クラブハウスに隣接する居酒屋「じゅびぃ庵」で飲んでいるうちに酔いつぶれてしまったらしい。
 二日酔いではないが体じゅうが悲鳴をあげている。松永氏にマッサージを依頼したところ、2時間以上施術してくれた。

 青戸先生、千田先生、小池先生、稲垣先生の順でメールや電話が入る。盛岡南、宮崎工業ともにマイルリレーが決勝に進出したのだ。
 TVで応援し感動する。


8月3日(月) ・・・ 久しぶりの学校

 長いこと学校をあけていたので、決済処理だけで午前中が終わる。午後は茨城大学特任教授と面談、その他。


8月4日(火) 

 合宿のイメージ作りを開始する。
 予想以上に報告事項や文書の整理などに時間がとられる。仕事の合間に本校陸上部の練習を見学に行き、本校から参加する3人と集合場所などの確認をする。
 午後は明日の講話資料作成。資料を作成しながらも、時折浮かぶ合宿についてのことを忘れないように手当たり次第にメモする。
 家に帰り、雑駁に書きこまれたメモを見ながら、合宿で選手に渡す資料を作成する。


8月5日(木) 

 午前中は教職10年目研修の講話。講話題は「教育専門職としての教員の使命」とやや難しい内容である。
 午後は教員との面談。


8月6日(木) ・・・ 出発前夜
 
 午前中、合宿資料を整える。
 午後は県教委に出張。
 18時10分過ぎに自宅に戻ると安田氏がクラブハウスに来ていた。
 そこには、東海大学の皆川、津布久両君もいる。鳥喜の唐揚げ持参である。
 しばらくすると、菅原理事、筑波大学の石川、米沢両君、東海大学の矢代君が現われる。安田氏の指示でバスに荷物が積み込まれる。そして一休み。唐揚げをつまみに冷えたビールとジュースで喉をうるおした後、7時過ぎに学生と“レストランAiAi”に向かう。今日は妻と娘も一緒である。
 飲み喰い話すうち、石川君とスプリントと助走に関する談義が始まる。こういうことが私の至極の喜びになるのだが、明日からのことを考え、早めにクラブハウスに戻り休むことにする。
 あれほど苦しんでいた頭・顔・首の痛みは8月2日の施術で松永さんが取り払ってくれた。同時に3日から今朝まで実行した“プチ断食”の効果も重なり、心身ともに何の不安もなく北上に向かえそうだ。22時に床に入る。
 

8月7日(金) ・・・ 栃木県 → 岩手県  合宿第1日
 
 朝3時に目覚める。起きようか、もうひと眠りか、と考えていたが合宿の予習をするため起きることにした。作成しておいた資料を見ながらイメージを張り巡らせる。冴えている。イメージは鮮明である。あとは自分の身体が最後まで持つかどうかである。4日間の自分のエネルギー配分についてもイメージを作っておくことにする。
 
 個人的に北上を訪れるのは、昨年の11月、本年2月、5月に続き4回目である。
 北上で合宿をすることに決めたのは今年5月である。訪れるたび、昔のヒット曲のとおり“においやさしい”街であることを感じていた。人情が素晴らしいのである。ここならよそ者の我々もやさしく受け入れてくれるだろうと確信した。それが北上を合宿地に選んだ最も大きな理由である。もちろん、練習環境、宿舎、食事、練習後のケア、経費等も満足できるものであったことは言うまでもない。
 当初、北上合宿は、吉永、品田、齋藤、矢代+α程度でこじんまりやろうと考えていた。ところが、合宿の宣伝をしているうちに、うわさを聞きつけ、次々と参加希望者が増え、断るにことわれず、このような大所帯になったわけである。
 
 7時予定通りクラブハウスを出発。私は鈴木寮長の車に篠原キャプテンと乗り込む。先導兼指揮車というわけである。宇都宮から沢先生、安田氏がそれぞれの車で出発し、全車両上河内SAでおちあうことになっていた。ところが、渋滞である。SAの駐車場も駐車できない。前に前にと進みながら、連絡を取り合う。車の量が落ち着いてきたのは福島県に入ったころであったが、今度は豪雨が容赦なく行く手を遮るが、ひるまず北進を続ける。
 鶴巣PAで休憩。SK(専大北上高校)千田先生に電話を入れると「北上は降っていない」とのこと。バスが遅延するものの渋滞によって遅れた時間もほぼ取り戻したため、KK(黒沢尻北高校)千田先生にも電話し、昼食会場を依頼する。両千田先生が出した答えは、競技場近くの“時代屋”。これで1時過ぎからミーティング、2時から練習に入れそうだ。
 
 1時15分、ミーティング開始。
 4日間の合宿の流れと今日のタイムスケジュールを話した後、私のスプリント理論を展開する。
 その理論とは、【接地と引き上げ】〜【離地と引き出し】〜【巻付と振り戻し】の協調と連続であるが、常に【骨盤】が中を取り持ち【腕ふり】が一体化するといったものである。
 こんなことは誰でも一緒の考えなのであるが、理論を武装するオリジナルドリルがあることにJUVYの特徴があり、証明してきた競技者は数多くいることを強調して話を終了。 
 
 いよいよアップ開始である。
 さすがに、長旅の疲れなど誰も感じさせない。地元から高校生6名、大学生4名が特別参加し、総勢35名である。
 それだけでなく、地元の高校生が40人ほど見学している。見られているという緊張感もある。競技場は2年後のインターハイ会場である。そこをJUVYが占有使用している。何と恵まれた合宿なのであろうか。素晴らしい合宿がスタートした。
 
 股関節周りの柔軟性を高める運動や筋肉+靭帯の可動域を広げる運動で柔軟性を高めたのち、ドリル+スプリントの複合スプリントトレーニングを実施。途中、北海道から品田晃宏君が到着。今日は見学するという。
 
 4時30分に篠原キャプテンと菅原理事はKK千田先生の案内で市長への表敬訪問。
 5時30分、本日の練習終了。宿舎の“草のホテル”へと向かう。部屋はシングル、温泉付きである。本日の夕食は前沢牛のステーキ。飲料水は特別に“奥飛騨原水”を富山から送っていただいている。
 6時30分、レセプションに行く時間である。選手は安田氏に任せ、両千田先生の案内で“割烹・鎌倉”にて、北上陸協から松田会長、下瀬川理事長、小笠原事務局長、両千田先生、盛岡南高校・小池先生、盛岡市立高校・高橋先生の7名。JUVYからは篠原キャプテン、菅原理事、鈴木寮長、沢コーチ、そして私の5人が出席した。
 陸上競技の仲間との話は本当に楽しい。時間がたつのも忘れて話し込んだ。
 

8月8日(土) ・・・ 合宿第2日
 
 朝食はバイキング。バランスのとれた食事が摂れるよう十分に配慮されている。問題はそのようなことを参加者全員が感じてくれているかどうかだ。
 
 食後、「もう一日残ったら」と誘惑する我々を振り切り、篠原キャプテンと鈴木寮長は帰途につく。佐野に残留し今日から佐野で合宿に入る若手の面倒を見に戻るという。しかも寮長は今夜の夕飯の買い出しから食事の面倒をみるとのこと。申し訳ない、という気持ちを何人の者が持つであろうか。
 
 9時ホテルを出発。
 到着後ミーティング。本日の練習の目的と内容を十分に説明する。
 午前中に行うハンディキャップ400mリレーのチームミーティングも行う。
 本日も引き続きドリルを行う。下肢の関節の動きに重点をおいたダッシュ系のドリルを十分に行った後、全員でリレーを行い午前が終了。品田直宏チームが見事な作戦で優勝!
 
 簡単な昼食を採り、午後は短距離・跳躍に分かれる。
 短短は器具を用いた接地ドリル+軸を意識した複合スプリントトレーニング本数制限なしで行う。多い者では80mを20本近くやっただろうか。
 短長は200mのペース走を15分〜20分のリカバリーで4本。
 跳躍は徹底的に助走練習である。
 これらをすべて観るのだから正直大変な労力を要する。「助走を観てほしい」「スプリントを観てほしい」「ドリルは正しいか」「ペースはこれでよいか」などと、集中をきらしたら答えられないような質問が容赦なく投げかけられる。
 あっという間に、3時30分。
 
 「おーい。あがるぞ。温泉に行くぞ!車に乗れー!」
 夏油高原温泉には4時20分に到着。ここには、屋内の温泉はもちろん、屋外の展望温泉、乾式サウナ、ミストサウナまである。十分に疲れを癒しホテルに戻る。
 夕食まで時間があるので、コーチミーティングを兼ねビールで喉を潤す。そして夕食。選手と指導者全員が一斉に食べる。選手の圧倒的な食欲に驚く。本日はフライアラカルトのカレーソース添えである。食欲がわくのは当然か。私も一緒にいただく。
 
 食後、ミーティングを行う。
 題材は「手本は身近にある。されどなかなか気づかぬ。」とした。チャイコフスキーのピアノ協奏曲第三楽章を聴く。
 「跳躍時の踏切のリズムやスプリント時の脚の回転をイメージできる」と訴えたが、果たして何人が理解できたか。何人が合宿終了後もこの曲を聞いてくれるか。私は大学時代の休日の練習後はドボルザークの第9(新世界より)とともに、この曲を聞いていた。今から40年近く前のことである。
 本当は絵も紹介したかったが、残念ながら時間が足りなくなりそうなのでやめておいた。その絵とは、山口薫氏の「金環食の若駒」という作品であるが、私は個人的に“神護朋信 優駿発氣”と勝手に呼んでいる。太陽をバックに3頭の若駒が4頭の若駒を見送るように描かれた絵である。“しんごほうしん”すなわち神が見護り、仲間(朋とは同じ師を持つ仲間の意味)の信頼をえたときに、“ゆうしゅんほっき”選手は本気になって戦いに挑む、というものである。
 その絵は、私にはまるでリレーに出発する時の補欠と選手のように見えるのである。(注:この絵は群馬県立近代美術館にありますが、縮小コピーしたものがクラブハウスにあります。)
 
 ミーティングが終わったので、「一杯やるか」ということになり、石川、吉永、品田、矢代を誘い、SK千田先生、沢先生、菅原理事、安田氏とともに宿舎内の小料理屋で10時30分まで楽しい話しで盛り上がる。
 この間も黒沢尻北高校〜福島大学でやり投をしていたトレーナーの谷村さんが選手に施術してくれている。ありがたいことばかりである。北上は最高の地である。
 

8月9日(日) ・・・ 合宿第3日
 
 朝の行動は昨日と同じ。選手は6時30分集合で散歩。その間私は朝刊に目を通す。
 
 今日は北上市陸上競技協会主催の陸上競技教室が開催される。昨夜から担当を決めていたが、指導案を作ってきた成瀬君には驚かされた。品田(筑波)、矢代(東海)、齋藤(筑波)とインカレの総合優勝を狙う大学の主将にJUVYの選手が続いてきたが、これはすごいことである。そして、次年度は成瀬君が順天堂の主務となる。正しい陸上競技の道を教えなければならないとあらためて思う。
 
 陸上教室は開講式に引き続き、小学4年生から参加できる小学生教室と中学生教室で、短距離、ハードル、走幅跳、それぞれ男女別に別れ、計12部門に分かれて開催された。
 私はすべての部門を見ながら、時折チーフにアドバイスをして歩いた。2時間強の実施であったが、あっという間に終了した。
 石川、品田君の人心掌握力、成瀬、米沢君の熱心さは特筆ものである。
 途中ハードルの見本をする吉永君の動きから、彼の抜足の欠点を発見できたのはおまけであった。
 
 全体を通し目についた子どもは、小学生の短距離に2名(男1、女1)とハードルに1名(男)の3人いた。短距離の子は双子で、5月に北上に来た時に会っている。そのことを聞くと「国見山に一緒に登った人」と足だけでなく頭の反応も速い。ハードルの子はサッカー少年だそうだが、陸上競技に魅力を感じれば成功するであろう。しかしサッカーで成功することもまたよしか。
 聞くところによると、その小学生3人が高校2年の時に北上国体が開催されるという。楽しみである。その他にもこれから強くなるであろうと思われる子どもたちはたくさんいた。
 中学生の短距離班の生徒が生意気な口をきいたり、小学生の短距離班の子どもたちが指導者に(子犬のように)じゃれついてきたり、やはり短距離を志す者は一筋縄ではいかない。その班のスタッフは大変苦労していたようである。
 
 私的には、参加者の保護者、教員と話し合う場が欲しかった。子どもたちに教えることより、人生経験という素晴らしい財産を持っている大人に話を聞いてほしかった。大人は経験という財産を生かし、子どもたちが“わかるとき・わかるまで”正しく伝えてほしいからである。
 
 昼食はしっかりと食べ、休息時間を利用しDVDを視た。
 DVDの1本目は「JUVY方式スプリントドリル」である。黙って見ていようかと思っていたが、モデルが誤ったイメージで行っている部分が見られたので、急遽解説をすることにした。
 何度も何度も説明しながら行っているのに、なぜこのような間違いをしてしまうのか。コツの伝承の難しさを思い知らされた。と同時に、指導者の理解と伝達、進取の心が不足しているのではないかと強く感じた。
 DVDは誰に見せても解説なしで視てもらうことができるよう、吉永、矢代、齊藤君たちをモデルに取り直す必要がある。
 DVD2本目は“直脳式・ヴィジュアルトレーニング”である。スタートのモデルは品田君、スプリントのモデルは齋藤君である。
 部屋を暗くしていたので、コックリ病患者も出始めたので、適当に終了した。
 
 2時。「集合!」の声とともに原島先生考案のミニハードルで一歩跳スプリントを開始。同じようなリズムで走っていても、全く目的と違うことをしている選手が大半である。そのような者はこの練習がスプリントの能力開発の手助けには(あまり)ならないかもしれない。何度も沢コーチと指導を繰り返し、ほぼ全員ができるようになったのは1時間後であった。
 いよいよ、本日の目玉練習“10秒走”と“20秒走”である。36人を3班に分けて実施することにした。1班につき30分はゆうにかかる練習である。
 「誰だ、こんな練習を考えるのは」などと、選手からの雑言を聞きながら、心を鬼にしてスタッフはかけまわる。
 20秒走1組では、品田直宏、佐藤恒一君が断然強し。ポイントはもちろん走距離も全く同じであった。ところが2組の1本目、毛利俊君が信じられないスピードを披露する。しかし、2本目スピードダウン、3本目はケツがわれあえなく轟沈。そこを冷静に走った吉永君が最後まで安定したスプリントで押し通し、100m10”33の品田君、400m47”96の佐藤君に大差で勝利する。残念ながら、この可能性を国体400mHで生かせない。「『それが、かえって良かった』となるかもしれませんよ」と品田君。笑顔でうなずく吉永君。二人とも実に爽やかである。
 続いて10秒走。このころから、予報通り雨が降ってきた。しかし、全く練習に影響はない。10秒走は1班で行う。前半は鹿沼東の伊藤、市川両君のペースであったが、中盤は品田晃宏君が抜け出した。しかし、最後は黒沢尻北高校の1年生高須君の独壇場である。強い。恐るべし、岩手パワー、今の栃木の感覚ではおいていかれる。
 
 終了後、本日は美人の湯で誉れ高い“瀬見温泉”に行く。結構楽しんで入浴したらしいが、何が楽しかったかはここでは書かないでおく。
 明日の連絡をしただけで、本日のミーティングはなし。合宿が始まるまで互いに知らなかった人たちが自然と話せるようになってきたことから、“友好DAY”も必要と判断したからである。
 スタッフは両千田先生と北上の夜を散策。(しかし道草を2回もしてしまいました。)
 それにしても北上は24時間“においやさしい”街である。
 

8月10日(月) ・・・ 岩手県 → 栃木県  合宿第4日
 
 朝6時。窓の外は雨。
 練習は伝統ある黒沢尻北高校で行う予定でいたが、どうしたものかと悩む。
 
 黒沢尻北高校で練習を行うということは、便宜上の理由からだけではない。
 創立以来の重く厚い歴史を、学校の環境や敷地内の空間から感じとり、自分たちが通う(通った)学校と比較して、互いの素晴らしさを再認識してほしかったからである。
 旧制中学時代から、現黒沢尻北高校すべての関係者が「何とかこの学校を良い学校にするのだ。」と全身全霊を傾けてきたはずであり、(傾けてきた多くのことは必ずしも知られているわけではないが)傾けられてきたことは黒沢尻北高校の敷地内に気体となって確実に存在し、訪れたわれわれの心身を刺激したはずである。
 
 インターハイ遠征1日目、私は黒沢尻北高校宿舎に居候した。
 そこで一宿一飯の恩義にと、上記の話をさせていただいた。その時の子どもたちの真剣な表情を私は終世忘れないであろう。
 50年後、そのような学校になってほしいからこそ、いま私は鹿沼東高校で働いている。
 
 出発前、雨が強くなってきた。念のため、KK千田先生に電話をいれる。
 「今、学校です。荷物を積み込みました。これから競技場に向かいます。」
 さすがである。インターハイの時もそうであった。私が考えていることはすべて先回りして考え、判断し、行動する。まさに日本一の指導者である。

 9時30分練習開始。雨天走路に参加選手がびっしり。それを見学者が取り巻いている。疲れているなどとは言っていられない。
 パワーについて説明したあと、練習にはいる。
 まずは、受け止め系。そして、地面からのリバウンド系。全身を協調させながら、なおかつ部分強化を行い終了。各自ダウン、そしてシャワー。
 

 最後に私が投げた言葉は以下のとおりである。
 
 参加者へ
 「人と人との出会いには縁がある。この縁を大切に生きよう。そして、練習にも縁がある。この縁を大切に練習に励もう。」
 
 見学者へ
 「出会いがあったのに、直接話ができずに申し訳ない。今度は本物の出会いにします。」
 

 「先生3人で一緒に写真を撮りましょう。」と品田兄弟。彼らが生まれた時から知っているから、なににおいても抵抗はない。親父とは40年兄弟づきあい、家族とは25年親戚づきあいである。私を真中に肩を組む。
 すると、堰を切ったように写真撮影がはじまる。集合写真を撮り、帰路の準備に入る。
 
 12時40分、北上競技場を出発。
 前沢PAで昼食、土産を購入し、豪雨の中を走り出す。
 途中、安達太良SAで休憩。そして再び、車は栃木に向かって走った。
 
 途中、配布資料を見ながら合宿を振り返る。随分やれたと思っていたが、やり残しもあったことに気付く。もう少し時間が必要であったが、腹八分目がちょうどよいと勝手に納得した。
 
 上河内SAで最後の集合。宇都宮方面と佐野方面に分かれて、再乗車する。
 
 18時40分クラブハウス到着。
 石川、品田、矢代、米沢君とともに“レストランAiAi”へ。「おかえりなさい」で迎えられる。矢代君を除いた3人はこれから筑波に戻るため、長くは引き留められない。私と矢代君は多少のアルコールを入れる。石川君は「運転手に悪い」と言い、一杯だけ付き合う。
 8時30分、夕食兼反省会を終了。
 
 自宅に戻り、合宿の終了を感謝する。すっきりとした気分である。
 反省会は必要である。言い残したことが言えるし、気付かなかったことがわかる。余韻も楽しめる。そのような効能で、すっきりと終わることができた。
 

8月11日(火) ・・・ 終了後
 

 終了後、参加者からのメールが届きましたので紹介します。
 
 「今回も合宿に参加させていただきありがとうございました。久しぶりに初心に帰ってスッキリしました。やはり、先生の考えていることは正しいと思いました。前に進む感覚が戻りつつあります。これからも、合宿で教わったことを継続したいと思います。本当にありがとうございました。今年のジュニア選手権では47秒5を狙います。」(毛利俊)
 
 「合宿お世話になりました。体をはってのご指導しかと目に焼き付けました。お疲れかと察します。練習には慣れてきた気がしますが、まだまだ雰囲気には呑まれてしまいますね。がんばります。ありがとうございました。」(武井隼児)
 
 「台風の影響も受けることなく、無事下宿に戻ることができました。今回は北上という素晴らしい場所での合宿に参加させていただきありがとうございました。先生方をはじめ、多くの皆様に久しぶりにお会いできたことうれしく思いました。今回の合宿では、自分のことを見直す良い機会になりました。以前の自分と今の自分を比較すると、以前の自分のほうが本気で陸上に取り組んでいたのではないかと思い知らされました。大学にきてから、たくさんのことをおろそかにしていることに気付かされ、先生が最後におっしゃっていた、『練習を継続することで、本当に強くなる』という言葉が身にしみました。また、今回初参加した皆川も『今までなぜこのような練習に気付かなかったのだろうか?』とJUVYの練習の素晴らしさに圧倒されていたようで、『今回の先生との出会いに感謝しています』とのことでした。今回学んだことを復習し、皆川と切磋琢磨しながら取り組んでいきたいと思います。ありがとうございました。」(津布久卓)
 
 その他JUVYのホームページや品田直宏選手のホームページにも書き込みがありますのでご覧ください。
 

北上合宿開催に際して多くの方々にお世話になりました。深く感謝申し上げます。
 北上市、北上市体育協会、北上市陸上競技協会、市内高校陸上顧問、市内高校陸上部員の皆様。草のホテル様。宮川興産株式会社(奥飛騨原水)。株式会社東日本インペリアル様(ほたかみ岩塩)。能力アルファ様(直脳式DVD)。瀬見温泉旅館様。藤倉自動車様。篠原幸雄様。鈴木純也様。川田浩司様。奥澤幸子様。
 そして、専修大学北上高等学校・千田昭幸先生、黒沢尻北高等学校・千田俊一先生、盛岡南高等学校・小池徳之先生、盛岡市立高等学校・高橋義柄先生、トレーナーの谷村朋哉さんには自分の時間まで犠牲になされて面倒をみていただくとともに、多大なるご援助をいただきました。厚く御礼申し上げます。
 

◆北上合宿参加者
【指導者】6名
 菅原克己、沢武芳、篠原幸雄、鈴木純也、安田淳、奥澤康夫
【選手】35名
 品田直宏:濃飛倉庫運輸100m(10”33)LJ(7.93)、石川和義:石川農産:TJ(16.98)、皆川澄人:東海大学@LJ(7.75)、吉永一行:JUVY-TC110mH(13.86)、毛利俊:中京大学@400m(47”96)、矢代雄紀:東海大学院@TJ(16.04W)、飯山彩加:群馬大学CTJ(12.39)、平井優季:慶応大学@TJ(12.27)、成瀬康智:順天堂大学B100m(10.88)、佐藤恒一:群馬大学院A400m(47.96)、福田雄介:群馬大学院ALJ(7.29)、武井隼児:群馬大学B110mH(14.92)、菅原祐己:JUVY-TC.TJ(14.84)、米沢京佑:筑波大学BTJ(14.97)、津布久卓:東海大学@TJ(14.56)、沢来未:宇都宮中央女子高@LJ(5.36)、新井真亜沙:佐野松陽高校@100m(12.64)、神谷直幸:佐野高校A100m(11.40)、関谷樹:佐野高校A400m(49.93)、広瀬大輔:佐野高校A400m(51.65)、山口航平:佐野高校@LJ(6.59)、松川健斗:佐野高校@100m(11.64)、市川徹:鹿沼東高校A100m(10.85)、伊藤翔平:鹿沼東高校A100m(10.85)、武安良和:鹿沼東高校ALJ(7.07)、地元の選手として大学生4名、高校生6名が特別参加しました。
 


残り少ない桂月
 
 連日、国内自己時差を受けた世界選手権も終わりました。
 
 眠気覚ましに外に出て深呼吸ならぬ立小便、ふと見上げるといるじゃありませんか、優しく見下ろす桂姉さんが。
 思わず私はたずねましたよ。
 「あなた様には、ベルリンもJUVYのクラブハウスもすべて見えるのかい?」すると桂姉さんは言いました。「右目はまぶしいのでサングラスしてボルトを見ているけれど、左目は裸眼であなたを見ているわよ」だって。粋な答えが返ってきました。
 
 というわけで、『夢か現か幻か』という世界を体験したのは世界選手権参加者だけではありません。勝った選手を見るも、負けた選手を見るも『夢か現か幻か』に変わりはありません。どちらが陰か陽か。それこそ輪廻の世界です。
 
 残念ながら齋藤は良いところなくベルリンでの200mを終えました。まだまだ輪廻体験が続くことでしょう。走れなかった理由は当分書かないことにします。すべて言い訳に聞こえます。
 齋藤が敗れしとき、私の周りでも書くに書けないような出来事が続けざまに起きました。まさに、朋の霊智ということなのでしょうか。世界の広さと狭さを同時に実感し、そのことが原因で多少鬱になりかけました。
 しかし、あらゆる出来事のラインをたどっていくと、すべて自分とつながっているようです。そこに運が現れるわけで、運は自己責任の部分も少なくないこともわかったようなきがします。

 普段の生活は、勤務とJUVYの活動が規則正しく交互にきますので、毎日が長く感じられますが、夏休みは不規則に行事がありますので、あっという間に駆け去ります。
 
 世界選手権の終わった日から、私は夏休み(まったく生活圏を変えての生活)を3日間とりました。
 
 始業式の日から規則正しい生活にもどるはずです。
 桂月最後の土日は国体合宿に参加します。
 澄み切った明月となる、玄月第1週は日本インカレです。
 その後は国体合宿〜JUVY合宿と毎週続きます。
 
 北上合宿参加者の皆さん、いよいよ北上合宿の成果を体内に装着しましょう。
 
 そして国体では、越後の「新走り」を味わうにはちょっと早いので、JUVY関係者の「新走り」を見せてください。
 
 やはり、JUVYには四季の風が吹きやみません。


         
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
Vol.43「白と青、そして遊」
Vol.44「36−10」
Vol.45「この卯月に思ったこと」
Vol.46「スプリント」
Vol.47「”運”と”付”」
Vol.48「純粋にひたむきに」
Vol.49「オリンピックへの興味・関心」
Vol.50「ラストゲーム」
Vol.51「氣づき」
Vol.52「私見・学校というところ」
Vol.53「チーム」
Vol.54「遠征講習会」
Vol.55「蔵出し その1」
Vol.56「蔵出し その2」
Vol.57「Enjoy Baseball
Vol.58「ふるさと
Vol.59「夢舞台に向かって」
Vol.60「評価」
Vol.61「桂月・秋立つころ〜北上にて」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo