Vol.59(2009. 7. 8.)
【文月の八】
「夢舞台に向かって」


スポーツの世界では多くの場合、夢の舞台に出場するために、予選を通り抜けなければならない。

6月に行われた3大会で夢舞台に向かう選手(チーム)を追った。


東北高校
 
                            東北地区との出会い
 
 平成19年12月。
 桜井先生(日立陸上部総監督)と青戸先生(中京大学)から相次いで電話があった。趣旨はまったく同じで「知り合いがJUVYに興味を持っているので冬の合宿に参加させてほしい」ということで、桜井先生からは盛岡南高校の千田先生、青戸先生からは宮崎工業高校の稲垣先生の紹介であった。
 齋藤がぼちぼちと頭角を現し始めてきたころであったが、JUVYに興味を持ったのはそれが理由ではないらしい。桜井、青戸両先生がJUVYを、そして私を過大評価したことによるものである。
 果たして、合宿には二人の先生が同時に来佐され、一緒の生活をしていったわけであるが、その合宿は自分で言うのもなんだが、なかなかの内容であったと記憶している。
 年があけ、2月には稲垣先生がリレーメンバーを引き連れ、3月には千田先生が短・跳・混部員とともに遠路はるばる栃木県にやってきた。両チームとも佐野で合宿を組んだのである。
 
 平成20年7月。
 インターハイ直前には佐野で調整し、佐野から熊谷に乗り込んだ盛岡南は岩手県史上初の同一校両リレー決勝進出という偉業を成し遂げた。もちろん、宮崎工業もマイルリレーで3位に入賞した。
 両校に関係したことのある一人として、インターハイ最終種目のマイルリレーのアップからフィニュッシュするまでの時間を過ごしている時は本当にうれしく、幸せであった。
 
 平成21年5月。
 北上からの帰途、私は自分の予定を確認した。6月13日と14日、私の手帳には何も書き込まれていなかった。
 今年東北大会が開催される福島は、東北の中では栃木からは一番近い県である。
 千田先生には迷惑かもしれないが、私はその時、東北高校に行くことを決断した。


                              東北高校までの道
 
 実のところ、千田先生はこの4月転勤していた。盛岡南を小池先生と新任の八重樫先生に任せ、母校の黒沢尻北高校へ先生にとっては2度目の赴任であった。
 最後の最後まで盛岡南に愛情をかけ続け、転勤発表後の3月にも多勢で佐野にきて合宿をしてくれた。その際、長距離指導が主体の小池先生も全日参加していただいた。
 
 県大会も終わり、インターハイに向かって順風が吹き始めたと思われた黒沢尻北に衝撃が走った。
 昨年の4×100mRアンンカーでチーム3番手の選手がハムの故障で、今年の県大会100m2位の選手が足の指の故障でそれぞれ東北大会には間に合わない、という現実を突きつけられてしまったのである。そうなると5・6番手を使わなければならない。6番手は11秒5近くまで落ちるという。
 しかし、その時の千田先生の言葉は潔かった。
 「覚悟を決めました。リレーは1・3番手抜きで戦います。42秒2が入賞ラインと設定し、何とか奈良に駒を進めてみせます。」
 
 それから、3週間。東北大会は始まった。
 東北地区は青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の6県で戦う。
 近年は情報化による高度なトレーニング内容の一般化、オールウェザートラックによる施設の均等化、温暖化などによる降雪量や気温差の減少などから、昔のように強い地域が片寄ことはなくなってきている。
 そうなると対戦相手が多い地区のほうが厳しい戦いとなるのは当然の理屈である。
 

                                東北の思い出
 
 福島駅に降り、タクシーで競技場に向かう。
 タクシーの運転手と話しているうちに、平成7年の第50回国民体育大会に支援コーチとして出向き、宿舎のすみっこのほうで桜井先生と二人寂しくビールを飲んでいたことを思い出してきた。
 今回も桜井先生と一緒の宿舎である。しかし、今回はすみっこで飲むことはなさそうだ。
 その後、桜井先生は一部の方々の批判を受けながらも信念をもって東北地区の高校生およびその指導者を中心に、競技布教を続けていた。
 同じような境遇にいた私を、先生は山形県で開催された日本陸連Jr.ブロック別合宿の短距離コーチとして推薦してくれた。その時から、私と東北の方々との付き合いが始まった。
 
 ブロック合宿の翌年の平成10年にも、東北大会を見に来たことがある。
 合宿で一緒に練習した選手のその後の様子を見て、今後の指導に役立てることと、当時明治大学のコーチであった新里氏の勧誘のお手伝いをする、という2つの理由できたわけであるが、それが偶然にも今回と同じ、福島・あずま競技場であった。
 何か深い縁を感じる。 
 
 悪いことは脳裏から追い払われ、良いことばかりが充満した爽快な気分でタクシーを降りた。安達太良や吾妻の山々が美しい。


                              再びあずま競技場 

今回は、盛岡南の二連覇と黒沢尻北のインターハイ出場の役に少しでも立てれば、そして九里学園の応援ができれば、との思いで、私的にやってきた大会である。
 
 男子4×100mR
 盛岡南、予選41秒84・2組1着、準決勝41秒68・1組1着(全て本年度チーム最高)
 黒沢尻北、予選42秒27・1組2着、準決勝41秒94・1組2着(全て本年度チーム最高)
 九里学園、予選42秒11・3組1着、準決勝42秒04・3組1着(全て本年度チーム最高)

 
 前述のとおり6県参加のためタイムテーブルがややこしい。スプリンターにとっては非常に厳しい間隔でプログラムが組まれている。100m予選を最終6組で走った選手はリレーの決勝までに何と40分しかない。チームアップもうまくできず、集中も散漫になる。もちろん疲労の回復も尋常ではない。この大会用のトレーニングを積んでこないとつぶれる可能性は十分にある。黒沢尻北のエースは何と6組。ますますハンディを背負いながら戦うことになった。

 そして決勝。
 盛岡南 優勝 41秒51(今年度チーム最高)
 九里学園 3位 41秒92(今年度チーム最高)
 黒沢尻北 6位 42秒18
 
 応援に来たかいがあった。素晴らしいものを見せていただいた。
 盛岡南の二連覇も、県大会から2秒更新しての九里の3位も、メンバーを2人欠いて背水の陣で臨んだ黒北も、それぞれに強烈なインパクトを放っている。
 

                             発するものは何か
 
 4×100m決勝終了後、本田先生の『ビリ哲学』に敬意を表すために、九里学園のテントを訪れた。挨拶だけで帰ろうと思っていたが、
 「まあ、座って、座って」歓迎を受け、コーヒーを御馳走になりながら気づいた。
 
 このテントの中には不思議な気体が充満し、その中で選手も指導者も動いている。
 それは『ビリ哲学』などという、言葉で表せるものではない。その不思議な気体の中に入り込みさえすれば、力は発揮できる、問題はその気体の中に選手が、そして保護者を含めた関係者がうまく入り込めるかどうかだろう。
 その気体は、常人では見えない、いや感じられないような壮大な氣の流れであるからなおさらなのである。
 その間、山形北の五十嵐先生、山形商業の茂木先生、山形中央の土屋先生など懐かしいお顔と再会する。このような短時間、呼び寄せる何かが働いているとしか思えない。
 そんなことを思いながらもうひとつ感じた。九里は1秒のばして奈良でも決勝か。

 黒沢尻北の選手を指導してから2カ月、しかも今大会は研修のため試合前日まで選手に会えずに大会に向かった千田先生には、最後に行うべき気体の送り込みができずに大会を迎えたハンディがあった。ハンディは選手の怪我だけではなかったのである。
 ならば、奈良でもうひと勝負!地区大会6位のチームがインターハイ決勝進出!
 
 「私は2度体験しています。昔の話ですが、関東大会6位からインターハイ4位、関東大会6位からインターハイ8位ということがありました。」
 
 その2日後、盛岡南は総合連覇で東北大会を終えた。
 以下、小池先生からの礼状である。ここに氣が詰まり、すごいエネルギーを発している。
 
 「先生からご指導いただいた生徒たちが奮起し二年連続の総合優勝を果たすことができました。
 今回の結果は、先生や千田先生をはじめ、本気で人間を育てようとする方々との出会いの中で、先生がたの教えを子どもたちが素直な気持ちで継続する中で、心身の化学変化を実現できたからだと思っています。
 その大切さを自分が噛みしめるのはもちろん、結果はどうあれ、若い、これからの指導者に伝えていくことが、今の私の大切な役割であるとも考えています。
 新顧問の八重樫もさらに精進しなければと感じています。
 奈良インターハイはもちろん、今後も子どもたちをご指導いただければありがたい限りです。」




関東高校

                          始まるには始まったが…

東北大会に1週間遅れの6月19日から関東大会が、地元宇都宮で始まった。
 
 その第1日目の400m予選にギリギリ間に合うように学校を出たが、駐車場がいっぱいということで入れてもらえない。
 あまり使いたくないのだが、大会副会長という肩書を出すとあっさり入れてくれた。ところが駐車場はガラガラである。「バスが来るかもしれないので…。」とガードマンは歯切れ悪く答えたが、11時過ぎにそうそうバスが来るわけはない。あと何台のバスが来る予定だというのか。最初からとんでもない状況に出くわした。競技役員以外にも気を回す余裕がなければ栃木の実力を見破られる。世の中、私のようにおとなしい(?)人間ばかりではないのだ。

 駐車場から走って競技場に駆け込むと、鹿沼東高校の選手が見えたので隣に腰を下した瞬間に「よぅい」とスターターの声。全く落ち着きのない状態から私の短い関東大会が始まった。

 JUVYからの出場者は例年に比べ少なく、全国大会へのチケット獲得は奇跡を待つしかない、というところが、大方の戦前の予想であった。
 そのような中、試合は南関東、北関東の順で淡々と進む。何しろ息のかかった選手が少ないので、淡々と、という表現になってしまう。
 400mで鹿沼東高の石塚、JUVYの関谷ともに自己新を出すも関東レベルでは歯が立たない。頑張っていることは認める。しかし、他に何かができたはずである。緻密という意味での高いレベルの生き方をしていなければ、ここぞという時に力は出せない。
 
 桜井先生と昼食を食べながら、東北と関東の違いを話す。6県と8県の違い、レベルの歴史的推移、本気で向かう指導者の数、などなど。
 

                                 本校生徒は

 競技場に戻ると、本校(鹿沼東高校)の武安が走幅跳で苦しんでいた。2回ファール。今に始まったわけではないが、それでも気になる。彼は中学時代の国体で予選3本ファール。高校1年の国体では2回ファールのあと12番目の記録で決勝に進むも、決勝でも2本ファール3本目に8番目の記録でベスト8に進出したが、残りの3本もファールで終わっている。
 いくらそのような状況を経験しているから大丈夫といっても、私は黙っていられなくなり、自分の学校の選手に初めて、試合中にアドバイスをした。結果は3位だったが、目標をはるかに下回るものであった。助走が、スプリントが全くできていない。
 
 次いで1m58でてこずっている本校の女子走高跳・菅沼の所にかけつけた。競り合いの中で勝つためには最も悪いパターンの1本目を落とし続けている。
 しかし、調子は悪くない。最終的には自己記録を大きく上回る1m67で3位に入賞したが、ツッパリ系の動きが十分にできていない。
 下手に陸上競技を専門としていたからか、ストレスがたまる試合が続く。
 
 武安が疲れている状態で走る4×100mRの予選が始まる直前、1走の武安から2走の市川へのバトンパスが心配になり、市川に「俺が責任を持つから歩測を縮めろ」と指示。
 こちらは、一発できれいにパスされプラスながら予選通過。
 しかし、明日の決勝での伸びしろは思いつかない。
 

                                  宮崎から
 
 今日は神奈川会員の田名網先生の歓迎会がある。急いでクラブハウスに戻る。いつものことながら、鈴木・川田両氏が準備を進めてくれていた。ありがたいことだ。
 
 夕刻、宮崎工業・稲垣先生よりうれしい電話。何度か佐野で合宿したことのある籾木君が南九州大会400mにおいて47秒20で優勝。4×100mRも41秒33で二連覇とのこと。
 こちらも夢舞台に向かって一直線!といったところである。逞しい走りが目に浮かぶ。
 

                            関東大会をのんびりと

 翌日、石塚氏の車で競技場に行くが、またしても駐車場がいっぱいとのことで入れない。今日は悪あがきをせず、遠くの駐車場に置くことにする。どこの県で実施しても、われわれのような部外者が同じような思いをするのは仕方ないことである。
こんなことで、目くじらを立てるわけにはいかない。
 
 「今日は一日中芝生席にいようではないか」ということになり、大声で話ができる、つまりすいている場所として、第1コーナーと第2コーナーの中間に陣取った。
 
 本校は100mで伊藤が5位に入賞し、3人目のインターハイ出場を決めたが、やはりリレーは沈んだ。
 もう少しやり方はあるのだが、校長の立場上顧問を無視して指導するわけにはいかない。盛岡南や黒沢尻北のバトンパスを見せてやりたい。4人の走力の合計では明らかに鹿沼東の方が上である。

 夜は日本女子体育大学の加藤教授と西川田の獅子林で会食。これが関東大会の良いところ。お世話になった方々にお礼をし、気の合う仲間と気兼ねなく飲み・喰い・話すことができる。
 いつもの通り、加藤教授には気を使わせてしまう。高価な備前の徳利と猪口をいただいた。おそらく、会食代を上回るものであろう。いただいた酒器で誰といつ飲もうかと考えるのが飲兵衛の性である。
 しかし、こういういただき物は記念になる。記念とは勝利の思い出ばかりではない。臥薪嘗胆の意味もある。今回は後者になりそうである。
 
 沢先生も同席し夏合宿の進捗状況を確認しあう。
 次々とJUVYの企画が出るのは面白いが、それはほとんどシニアでの話である。現実にはJr.が苦しんでいる。
 

                                 夢は次週に 

 21日は筑波大学に出かけたので、関東大会は見ていない。
 齋藤すこぶる元気である。何しろ、精神状態が素晴らしい。

 そして、22日の月曜日夕刻。関東大会の結果報告を受ける。
 JUVYのお家芸であった、マイルリレーも三段跳も、ついに夢舞台に上ることはできなくなった。
 
 栃木県も沈み込んでいるらしい。その中で那須拓陽と国学院栃木が気を吐いている。
 こんな時にこそ、JUVYがしっかりしなければいけないのだが。蛙の面に小便の気配。
 
 屋外で緊急の手術をしなければならなくなったとき、無菌のエァーテントを作り、その中で手術をする。
 試合では手術ではなく戦いをするわけであるが、真剣さを考えれば何ら変わらない。
 試合では何かに覆われたテント状の雰囲気が作られる。テント状の内は人の眼に映るものではないのだが、指導者やチーム独特の氣という気体が充満している。
 チーム関係者が共有する氣の充満したテント状の中にどっぷりとつかりながら戦うこと、そのような雰囲気が勝つためには必要なのだが、そのような状態のテントを膨らますのは結構難しい。
 しかし、勝つチームに共通していることは、独特の氣が充満したテントを張っている。
 
 こんなことは理屈では解決しない。
 指導者はただただ、己の哲学を蒸留するしかない。蒸留していく過程で気体が発生する。その気体を集めてテントを作り、その中に仲間が入り、その気体を吸いながら、仲間が一致団結して戦うのである。
 その時に発生する気体こそ氣ではないか。
 そんな気体の詰まったテントを、来週、広島で張ってやる!
 
 1年に数えるくらいしか先生から指導を受けていない、いや、受けられないにもかかわらずどんどん強くなっていく学校や選手。近くにいて何回も何日も教えてもらっているのに強くならない学校や選手。この2週間であまりにも対照的な現実を目の前に突きつけられています。
 そのことは、とりもなおさずスタッフの問題と言えるのではないでしょうか。われわれスタッフの指導力はアップしているのか。指導力の差のほうが選手の資質の差よりはるかに大きいことを自覚しなければ、全国からどんどん離されてしまうでしょう。
 JUVYとはどこを拠点に活動しているのか。
 しっかりしないと、メンバーとゲストが逆転してしまうことを危惧しています。
                            (広報部長・川田浩司)




日本選手権

                                    決意

 5年前、日光で合宿をした品田直宏と齋藤仁志は一昨年のユニバーシアードに同時に出場した。
 昨年は日本選手権で一緒に北京を目指すも、齋藤一人が夢をかなえるにとどまった。
 
 実は5年前の日光合宿には吉永一行も参加している。最も年長の吉永は3人から置いてきぼりをくらっている。今年の日本選手権には吉永は初出場する。
 
 ベルリンの夢舞台に上るために設定された決戦の地は、安芸の国・HIROSHIMAである。
 
 ユースの.世界一から、シニアとして世界に雄飛できるか、品田直宏。
 今年初、リミッターを外した走りを披露することができるか、齋藤仁志。
 遅れて現れ、その資質を生かし一流への登竜門とすることができるか、吉永一行。
 
 今年の日本選手権、JUVY所属男子選手へ私が作ったキャッチコピーである。キャッチコピーはそれぞれ目標でもある。
 
 日本選手権を前に、21日は齋藤に、23日は吉永にそれぞれ会って打合わせを完了しておいた。
 試合前、品田には会えなかったが、親父が来るので大丈夫だろう。タイムテーブルからすると吉永の予選が終わったころ、齋藤のアップが始まる。その間に品田の跳躍が行われる。まさしく、品田は親父に任せなければならないのである。
 
 大会2日目に彼らはそろって登場したわけであるが、齋藤だけ初日に予選があった。その日のことについて書いておかなければならない。
 

                                    苦戦
 
 (私は齋藤の予選のことは全く考えていなかった。過去の日本選手権の予選とは意味合いが違う。そんなことは齋藤も百も承知で、戦いに臨むことにしていた。)
 
 大会初日、200m予選の状況を青戸氏から連絡を受けている時は新幹線で移動中であった。
 「齋藤、苦しそうでした。」とのことだが、そんなはずはない。おかしいと思っていると、斎藤から電話、すかさず、(これは何かあったな)と感じた。
 実は斎藤は予選で苦戦していたのである。
 あまりの調子の良さに、脚が悲鳴をあげかけたのである。脳の緊張もあったのであろう。「スタート直後1歩目から右脚の“ふくらはぎ”がつり、そのまま走ってフィニュッシュ地点まで持ちこたえた」のだと言う。
 齋藤は何と運の良い男なのだろう。
 今日簡単に予選を走り、明日の決勝で今日の状態がおきたら“アウト”になるところを、2年前の静岡国際の決勝の教訓をここで生かすことができるのであるから…。
 
 苦戦という現象を、内面では運の良さに変えられた、この時点で、ベルリンのチケットは取れた、と一人悦に入っていた。
 

                                  勝負の日
 
 2日目、私は競技場に行く前に広島湾に向かった。
 JUVYのスポンサーのとある方から寄贈されたブレスレットに使用していた宝石を殺してしまった(らしい)私に、沢先生の奥様がアドバイスをしてくれたからである。
 「石を殺してしまうなどということは宝石デザイナーにとっても始めてのことだそうです。死んでしまった石は海に沈めてやってください。」
 11時、私は海に石を沈め「ありがとうございます」と、つぶやいた。
 しばらくして、何か食べなければと思い、その日最初の食事をとった。
 普段は好んで食べることのないサンドイッチにした。空腹感からではない。何か食べておかないと一日持たないのではないか、と判断したからである。
 実のところ、その後、夜の9時まで何も食べなかったのであるから、食べておいて正解だった。
 
 サブトラックに入ると、吉永は決勝に残ることは当然といった笑顔を浮かべていた。
 吉永と私の目標はただそれだけである。
 吉永がアップを始める。しかし、接地足を観ると、こちらが笑ってしまうほど緊張しているのがわかる。
 そんな状態でも、この広島で予選〜準決勝〜決勝と3本、日本の著名なハードラーに入ってスタートラインに立てれば、彼のグレードをアップさせるきっかけになるはずである。
 彼にとっては、まさしく登竜門なのである。
 
 品田は調子が良すぎるのが気になった。一時アップでは入れ込みも見られた。
 「何も難しく考えず、速く走ってきて遠くに跳ぶだけ」のアドバイスにうなずいてはいたが、欲がそんな心の外側を覆っているような気配が感じられた。
 
 齋藤は武蔵になっていた。
 決勝進出者は一次アップをする者が多い。そうでない者でも、試合開始の2時間前くらいからアップを始め調子を高めようとする。しかし、彼は1時間前からアップを開始した。ジョッグとドリル、嫌いなはずの“伏せ蛙”をはじめとしたJUVYストレッチを入れ、スパイクを履かずにアップを終えた。
 私なりのアドバイス(これは秘密)に素直にうなずき、“ほだかみ”岩塩を大量に舐め、ジュースを口に含み、そして飲んだ。いよいよ決戦の場に出陣。無の握手。
 その時私は、(こんな楽しい一日があってよいのだろうか)と思っていた。
  
 競技場に入ると、品田が苦戦していた。ものすごい勢いで走ってくるのだが、うまく踏み切れない。こちらは父に任せ、齋藤に集中する。

 200m決勝は思い描いたレースとなった。
 2着に立つのはもう少し後の地点ではないかと思っていたが、私の見ている160m付近ではすでに2番手を走っていた。
 ところで、斉藤は果たしてリミッターは外せたのであろうか。
 
 私の目標からみた評価は90点といったところか。
 欲を言えばきりがない。挑戦はまたの機会で十分だ。
 とりあえず、夢の舞台へ進めそうである。


                               戦いは半ば過ぎ

 走幅跳は終了した。だが、品田は夢の舞台へ上る望みは絶たれた。
 品田が人前で泣くのを初めて見た。まだ若い。これからがシニアへの仲間入りである。
 品田と齊藤と遅い夕飯にするつもりであったが、齋藤はドーピング検査のため来られなくなった。

 夕飯はしゃぶしゃぶをおごった。9時を過ぎていた。
 負けた選手と時間を共有できなければ、真の指導者ではない。
 17年前、バルセロナオリンピックの最終予選で敗れた青戸氏と時間を共有できたことは、今の私にとって貴重な財産になっている。  
 指導者には指導者としての辛い体験にぶつかっていくことも必要だ。

 春先好調であった筑波大学の安孫子君とその夜時間を共有したのは誰だったのであろう。安孫子君の高校時代の指導者は、今宵どのような思いで過ごすのであろうか。
何とも複雑である。2年前の大阪の日本選手権では私がそんな思いをしていた。
 勝った選手だけに付きまとう指導者にだけはなりたくない、と思える歳になってきた。
 

                                 最後の戦い
 
 3日目。食欲は全くない。
 吉永のアップを見ながら食べようかと買った弁当は日陰に置いたまま手付かずである。私の眼は、ただただ接地足にだけ注いでいる。接地のチェックが済むと、意識は順序頭上に向かって進む。そこまで行くと最後は内面の状態を読み取るだけである。
 そして1点アドバイスが、近年の私のパターンである。
 昨日とは全然違う。準決勝通過は問題ないであろう。
 召集所に送り出し、ベンチに座って本日初めての食物を胃の中に入れる。
 
 果たして吉永は決勝に残った。昨年の南部記念、国体に続き3回目の全国大会決勝進出である。
 狙った試合に合わせられることが当たり前になることが、今の吉永には大切なことなのである。
 結果は5着。それを見ていた品田が、
 「吉永さんが、あのようなところでファイナリストとなり、皆と握手をしているのが不思議な気がしますね。つい最近まで幅跳の選手だったのですからね。」と前の席から振り返り、笑いながら話しかけてきた。
 その瞬間、品田が次の目標に向かい始める心が形成されたことがわかった。
 
 吉永にはまだライバルはいない。来年あたりは、そろそろライバルを探そうかと思う。
 

                     評価(衝撃的選手とJUVYの2人)
 
 私は試合後の選手を評価するのに総合的に判断する。そのやり方は秘密であるが、総合的に考察するのに便利である。勿論、その算出方法は自分だけのものである。
 今回、その一部を公表する。
 断わっておくが、あくまでも私個人の計算式で算出した評価である。それを前提に見て欲しい。
 今回は、短距離3種目とハードル2種目のファイナリストのみ評価した。
 
 今大会のMVPは100m優勝の江里口匡史(早稲田大学)選手で評価は105とでた。
 ついで、110mH2位の首藤貴之(拓陽クラブ)選手の103であり、それに次ぐのが100m3位の荒尾将吾(福岡大学)選手の100である。
 これらは一大会に限って言えば、奇跡に近い評価であり、5段階(S/A/B/C/D/E)評価では滅多にないS評価である。100を超えた選手はS評価としているが、ほぼ限界まで力を発揮したといってよい。もしも、このまま江里口選手が突き進めば、日本初の9秒台に突入するのは彼のような気がする。
 いかに上位3人が素晴らしく、衝撃的であったか、改めて、敬意を表したい。
 
 JUVYの二人はどうか。齋藤がランク5位で95。これは私の過去の齋藤評価の中では最高である。そして、吉永が12位で78となった。
 
 数字を見ていると興味がつきない。
 仮に、齋藤が高平選手と同タイムで優勝したとすると、江里口選手を上回る評価となる。これを今回の齋藤が達成していたら壊れていたと思う。それでもA評価の上位である。
 では、吉永はどうか。吉永が仮に首藤選手と同タイムの13秒77の3位でフィニュシュしても103で、記録の伸び率は高くても、評価では首藤君にはわずかに及ばないことがわかる。
 

                        評価(世界選手権代表選手)
 
 JUVYの2選手はここまでにして、もう少し数字遊びを紹介してみたい。
 
 世界陸上代表者の私の評価順位と数値を見ると、前述の江里口選手は(1/38-111)でSランク。田野中選手(4/38-98)、齋藤(5/38-95)、木村選手(6/38-90)、吉田選手(7/38-82)、高平選手(13/38-75)までが私の評価Aランク。藤光選手(16/38-64)、金丸選手(17/38-64)、廣瀬選手(19/38-59)はBランク。そして成迫選手(22/38-55)はCランクとなる。
 距離が短い種目が上位をしめる傾向があるのは、競技場、特に風の影響があったと思うが、それをものともせずに走った、400mHの吉田選手は高く評価されようし、成迫選手が不調なりに走り代表を勝ち取った力は他の選手から見ると群を抜いていることもわかる。


                              評価(筑波大学)
 
 大学別の集計をしてみたら興味深い数字が浮かび上がってきた。
 
 大学(在籍者+卒業者)別のファイナリスト数上位3校は、筑波大学9名、順天堂大学6名、早稲田大学5名で、筑波大学が断然多い。
 ところが、評価として用いた数字を平均し、それを大学別実力発揮度として考えると、筑波大学と中央大学が入れ替わり、中央、順天堂、早稲田が上位3校となる。
 筑波大学が関東インカレでバトンパスをミスして中央大学に敗れたことは、果たしてバトンのパスミスだけであったのだろうか。
 
 近年、卒業後も出身大学を拠点にして活動する選手が多いが、拠点校別にまとめてみても同じような傾向が見られた。
 つまり、ファイナリストは筑波大学がトップであるのに対し、実力発揮度は早稲田大学、中央大学なのである。
 
 筑波大学は関東インカレでアベック優勝をしたが、今大会の短距離系は力を出せずに終った選手が多かったことがはっきりと見て取れた。筑波大学を拠点として練習をしている選手の平均評価は42点のDランクであった。怪我、疲れ、いろいろあろうが、力を出せないで終わった選手はファイナリストに限ったわけではないように見えたが、はっきりしたデータが手元にないので比較はできない。
 今大会の筑波大学は、インカレから日本選手権への流れを作れなかったことが私のデータにははっきりと出ている。 
 いや、それ以上の問題が筑波大学にはあるのかもしれない。
 


夢舞台への挑戦は終わらない
 
 戦い終えて、キャッチコピー通りの試合を展開したのは吉永一人であったようです。
 しかし、キャッチコピーと数式による評価は違った結果がでてきました。人間の持つ感性と冷酷な数字の差です。これらをさらに自分なりに一体化し選手の目標設定や今後の考えに生かしたいと考えています。
 
 齋藤は夢舞台に歩みを進めることができました。
 吉永はほぼ目標を満足することができました。
 しかし、敗れ去りし者も“敗れざる者”として第一歩を踏み出したことも事実です。
 
 齋藤からの「ベルリン大会日本代表正式決定」の電話と相前後して、品田から「石川(三段跳)さんとともに北上合宿に参加したい」との連絡がありました。
 ここに、これからの決意が見て取れる若者のメールを紹介します。
 
 齋藤の世界選手権正式決定おめでとうございます。個人種目での出場は本当にうれしいです。日本選手権のラストの走りは確実に19秒台に近付いていると確信しました。
 心の底から、齋藤と先生を応援するとともに、今後の活躍をお祈り申し上げます。
 おふた方は多くの人に希望を与えてくれる存在だと思います。二人にかかわれたことを神に感謝したいと思います。
 石川さんと品田さんも応援していたのですが、残念ながらベルリンの壁は越えられなかったようで残念です。私を含め3人で北上を起点に強くなれたらと思います。
 8月、日本陸上の聖地とすべく北上の地で、一人、また一人と最高の仲間と出会えることを楽しみにしています。           
                        (東海大学院・矢代雄紀)

 
 齋藤と出会ってからは、まもなく5年です。
 齋藤に限って言えば、彼は何度も水中に沈められてきましたが、そのたびに勢いよく水面から、明るく・楽しく・元気よく、踊り出てきました。
 今後も齋藤は齋藤なりの進み方を選択するでしょう。
 
 では、齋藤以外の者はどうしましょう。
 齋藤がベルリン・ロンドンと目標を掲げるように、我々も個々に、次の自己未踏の目的地を求めて出港しなければなりません。
 指導者とは選手の羅針盤であり、海図であり、星図のはずです。
 しかし、羅針盤も海図も星図も普遍性を持たなければなりません。
 私も再度、普遍性という言葉を陸上競技の中で追い求めなければなりません。普遍的でない羅針盤や海図や星図は航海する人々を遭難させるからです。
 
 夢の舞台に上がることができた選手諸君おめでとうございます。
 この夏、諸君の素晴らしい演技を“熱い心と冷たい頭”で観させていただきます。
 

 
余話として
 
 この号がアップされた翌日の9日、日本時間19時30分にユニバーシアード200m予選が始まります。
 齋藤は日本選手団の主将として戦います。
 
 「主将とは、自分の生様を関係者に感じさせることだ。世の中には、何も感じないような輩や他人を批判することに長じている輩などいるにはいるが、多くの人が感じてくれます。とにかく、自分のペースでいき、帰ってきてください。」
 
 これは、ユニバーシアード出発前に齋藤に送った私からの餞の言葉です。
 
 楽しいだろうな、夢舞台に乗ることって。暑さを乗り切り日本でも頑張りましょう!
 次はあなたの夢舞台が待っています。

         
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
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Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
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Vol.45「この卯月に思ったこと」
Vol.46「スプリント」
Vol.47「”運”と”付”」
Vol.48「純粋にひたむきに」
Vol.49「オリンピックへの興味・関心」
Vol.50「ラストゲーム」
Vol.51「氣づき」
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Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo