Vol.54(2009. 2. 8.)
【如月の八】
「遠征講習会


北上にて(その1) 

 1970年10月。特急列車(特急といっても今と比べれば相当時間はかかったが)で盛岡に向かい、初めて東北の地を踏んだ。というより、そのころの私は大田原以北に行ったことはなかった。ビートルズのレット・イット・ビーやドリスデイの唄ったケセラ・セラのリバイバルがヒットしていたころの話である。
 大学一年生の眼で見る盛岡駅前からの景色は壮大そして広大で、空気(酸素ではない)の量は東京より多いのではないかと感じた。
 
 そんな記憶を大切にしながら、2008年11月22日、北上にスプリント講習会に出向いた。日立の桜井総監督、筑波大学院の吉永君、東海大学の矢代君と宇都宮駅そして新幹線内で合流した。イメージとしては(岩手は遠い)であったが、缶ビール2本であっけなく北上に到着した。出迎えてくれた二人の千田先生と瀬見温泉に向かう。途中から本降りになってきた。本降りといっても雨ではない。雪である。栃木からものの3時間で着く場所とは思えない。
 
 移動する時間の過ごし方を間違えると、付き合い方を間違え、失礼になることも知った。郷に入れば郷に従えがさかさまになり、郷の人がこちらに合わせてくれている。
 
 時間は急ぐ時だけ短縮すればよい。必要なければ無理して急ぐ必要はない。列車の乗り継ぎのための待ち時間も『亦楽しからず』である。要は旅行に要する時間を誰と(もちろん単独行もあるが)、どのように使うかだ。
 修学旅行ではないのだから、旅行は行程を決めずに、レット・イット・ビー、ケセラ・セラも楽しいものなのだ。
 
 今回は遅くに出発したために、急いで行動せざるを得ない。そんな流れのまま宿に着く。あわてて湯船に飛び込み、薬効なじまぬうちにとりあえず体を洗い、風呂場をあとにする、ということになった。まるでテレビで放映するときの旅番組である。
 全身から噴き出る汗はまだ栃木の味である。広い宴会場に案内され、5人が中央付近に鎮座し、急いで飲み始める。
 
 早めに出発し、ゆっくり移動していく感覚を全身で感じ、ゆっくり湯につかりながら郷になじむ。地元の方と同じ空気を共有できた頃、会話を肴に地酒をゆっくりいただく。長々と飲むが会話を楽しむ。本来はそれが一番なのであるが…。
 
 今回は急ぎの旅を選択してしまった。失敗だった、と思うのは後の祭り。
 翌日からの2日間の講習会に備え床についたころの記憶があまりないのはいつもの事である。
 
 1日目の練習が終わり、車は平泉へと向かう。1966年NHK大河ドラマの主人公源義経を支えた奥州藤原一族ゆかりの地である。
 吉永、八代君は知的好奇心もなかなかのもので、盛んに質問を投げかける。
 両千田先生が気を利かせガイドを雇ってくれたのだが、その中年の女性ガイドは、われわれが栃木から来た事に気づき、
 「この寺は慈覚大師様が建てられましたが、岩舟町の大慈寺はご存じですか。私どもは先般おたずねしたのですが」
 「隣町です。そこで時々練習します。ご住職様も存じ上げていますよ。」
 との答えに、互いに最初の緊張感から解放されたか、以降会話の流れがよくなった。
 そういえば、以前訪れた山形の通称・山寺と呼ばれる立石寺も慈覚大師である。身近なところ(岩舟町小野寺と壬生の両説があるが、私は小野寺説を信じている。諏訪岳のふもとに行けば誰でもそう思ってしまいそうである)で修行した偉大な方が全国各地で多くの方に影響を及ぼしていることに少々気分が良くなった。
 
 最終日の練習も無事終了し、今度はJUVYの定例会に間に合わせるため急いで新幹線に飛び乗り、鹿沼にまわる。学校に車を置いて北上に行ったからである。
 今回はとにかく急ぎの旅であった。



京都にて

 「京都といえば?」―「駅伝!」などと答える方が多くいるとすれば、それは陸上サークルがなせること。
 しかし、それでは「腕が利くだけで国家を知らぬものがいる。(司馬遼太郎)」となりかねない。
 「京都といえば?」―「平安京に鳴くは鶯」ピンとこない方もいらっしゃるであろうが、私的にはこちらのほうが面白い。
 
 新幹線に初めて乗ったのが1968年の秋。もちろんその時が京都に来た初めての時。佐野高校2年の修学旅行のことである。朝練習を一人賀茂川辺りで練習したことが懐かしい。その朝練習に出かけるに出口を間違え、女性従業員の部屋を開けてしまったことも、今となっては懐かしい。今の時代なら間違いでは済まされない、大変なことになったであろう。もし、そのようなことをしてしまった生徒がいたとしても、そんな生徒を信用してくれる教員は今の時代どれくらいいるだろうか。当時は羨ましがられた。   

 どうでもよいことなのだが、修学旅行は奈良・京都がよい。ユネスコの世界遺産にも、『奈良』『京都』は登録されている。少し足をのばせば『姫路城』、日程を考えて『厳島神社』『原爆ドーム』である。これだけの半径に、しかも交通の便のよいところに、これだけの文化遺産があることを認識すべきだ。と思わず力むが、本題とは関係ない。

 さて、私にとって「京都といえば?」―「歴史との邂逅」であろうか。
 桓武天皇は「山や川が麗しく、四方の国の人が集まるのに交通や水運の便良きところ」と判断し平安の地に決めたという。そして、鳴くよ鶯、(794年遷都)となった次第である。
 知(智)と地と血で戦い、強奪し、護り、暮らし、雅という文化をもつ都を作り上げ、歴史上最も長い期間我が国の中心地であった京都である。そのような所に私のような者が押しかけ講習会をしてよいものか迷ったのも確かである。洛南高校の中島先生からのご依頼でなければおそらく断ったであろう。

 平成21年1月23日、先に発った齋藤君を追って、東海大学の矢代君と東京駅で待ち合わせ、新幹線“のぞみ”に乗り込む。酒抜きの新幹線はあまり記憶にないが、そこは矢代君。京都まで多くの会話で盛り上げてくれる。
 今回の旅は時間的に余裕があることを感じる。
 宿舎の新都ホテルでのんびり荷をほどいていると中島先生から電話。今回の旅でこの時だけはあわてた。急いでロビーに降り、タクシーに乗り、着いた先は祇園の素敵な小料理屋。地元の方も滅多に口にできない『子持ちモロコ(注)』などを肴に精米度28%の大吟醸などをいただく。京都という空気が周りを取り囲み、いつの間にか…。
 (注) コイ科に属する湖沼型完全淡水魚で琵琶湖の固有種。淡水魚の中では最高の味と評価されている。今では地元の人でも滅多に食することができないと言われている。
 
 いつの間にか…朝を迎えた。散歩を兼ねて、洛南高校の朝練習を見学に伺う。何度お邪魔しても私の勤務してきた学校とは、本質的な概念の違いを思い知らされる。凛として颯爽とした空気が早朝から学校の辺りを取り囲んでいる。3年前から中高一貫、男女共学になったらしいが、外からの大雑把な感想は変わらない。
 「こんな雰囲気の学校栃木にありますか」と矢代君。
 「いくつかの学校を一緒にしたり、過去と現在を合わせればある。」と私。
 
 講習会は午前が講義、午後実技。午前中は指導者、午後はその指導者が引率してきた各校1名限定の生徒、それに意欲ある大学生が参加。非常にやりやすい講習会である。
 
 夜は、京都陸上競技協会の方々と会食。炭火での焼き魚。生魚は駄目な齋藤君も驚くほど箸を進める。それくらい美味である。
 その後、駅前から木屋町に移動。待ち合わせの場で、卯野、石井田、柴田先生と私ども3人が深くて広い話をつまみに高級焼酎でこの日が終了。
 
 ホテルに戻るタクシーの中で、
 「このような会話は栃木でもするのですか。」とまたしても矢代君。 
 「するよ。桜井先生や人見先生とね。」と私。
 「びっくりしました。激しいですね。」と齋藤君。
 学生の感性はすごい。隠すことなど必要ない。すべて感覚的にわかってしまう。そして大人を評価する。媚びた大人は軽蔑されるのだ。

 最終日は午前のみ実技。テーマである『200・400mの能力向上』のためのトレーニングを紹介し、実際に齋藤、矢代両君に参加してもらい、中・高・大学生と走ってもらう。あまりスピードを上げていないはずの齋藤君の速さに皆驚くと共に、2人の動きを見て前日からの奥澤理論に納得してくれる。
 
 予定の時間に終了したが、私への質問と矢代君への動きの確認、そして斎藤君へのサイン攻めでなかなか終わりにして着替えることができない。
 幸せなことである。
 
 昼食を済ませ自由になったのは2時30分を回っていた。 

 「せっかく京都に来たのだから、どこかに行ってから帰ろう。」と私の提案に、
 「清水寺!」と2人。
 清水寺を選んだ理由の詳細は書かないことにする。ただ私には関係ない目的が少々あったらしい。
 それから2時間、のんびりと散策。
 
 至福の時間はあっという間に過ぎた。
 互いに自分の人生があり、互いに多忙。(次にこのような時間を共有するのはいつになるだろうか)などと思いながら、品川で3方向(栃木、神奈川、茨城)に分かれ、私は夜の11時帰宅。
 充実した3日間であった。



北上にて(その2)

 台風並みの風雨の音に起こされたのは1月31日のこと。
 午前中佐野高校の体育館をお借りし、JUVY Jr.を対象としたドリルテストを実施した後、今回は「ゆっくりゆっくり」と言い聞かせながら北上に向け出発する。
 いったん宇都宮で下車し、桜井先生と会い、再び新幹線に乗車。
 
 列車が福島県に入ると車窓からの景色は白に変わった。雪である。
 ごく自然に、
 「雪見酒にするか」ということになり、ウイスキーの水割りを片手に強化策を8題。龍馬ではないが、車中八策である。今夜はこの策がつまみになることに違いない。
 
 北上には千田昭幸先生が出迎えてくれた。宿までは歩いても5分とかからないのに、桜井先生はさすがに慣れている。雪で歩くのは困難と判断し、迎えを頼んでおいたらしい。はたして、そうであった。ホテルに着き玄関までの5mで我々は苦しんだのである。
 ロビーのソファに見覚えのある顔の男性が座っている。大曲高校〜岩手大学で100mを中心に競技をしていたO君である。彼には12年前山形県の天童で開催された陸連Jr.合宿で指導したことがある。偶然とはいえ驚いたが、冷静に考えればここは岩手県。彼の方がよほど驚いたに違いない。こんなことも旅の魅力なのである。
 
 温泉につかり、マッサージチェアに15分。今回はずいぶんゆっくり時間が進む。
 
 両千田先生(なんと桜井先生もであったが)馴染みの割烹料理屋に開華の原酒『みがき』を持ち込み、それを飲みながら、車中八策を披露。3年後に再び訪れる全国インターハイに備えて北上の首脳陣は真剣そのものである。
 そこで、JUVYのエリートの夏合宿は日光から北上に変更したい旨を伝えたところ、全面的に協力をいただけることになった。日光ではスピード練習、接地練習ができない。グレードの高い連中にとっては環境的に限界がきていた。
 5〜6人の合宿でスタジアムを貸し切りで行うことも可能である。浅田選手がリンクを一人で使うような、われわれにとっては夢のような話である。
 
 翌2月1日は富士大学の300m室内競技場で講習会が行われた。11月に参加した選手が多かったことから、手際よく進んだ。
 昨日のJUVY Jr.のドリルテストに比べ、盛岡南高校部員の動きの良さがひと際目立つ。継続練習の成果であろう。選手はもちろん、千田俊一先生には本当に頭が下がる。
 充実した3時間もあっという間に過ぎ名残惜しくも終了。
 
 新幹線の時刻に合わせ昼食。
 そして私は佐野に戻り、5時30分からの大沢駅伝反省会に出席。
 長い一日であった。



県外遠征指導というもの

 今回の遠征指導における講義の要旨は以下のとおりである。

                  他都道府県を訪ねるには意味がある
  
 私にとって県外に出て講習するということは、独自の人脈を築けるだけでなく、多様な指導法を吸収することもできます。
 参考文献とは一般的には本の中から見つけ出しますが、私は会話からいただいたものを『モノ言う参考文献』として大切にファイルします。私の心のファイルには質・量ともに多くの資料が確保されています。

ところが、他都道府県での指導に反対する方も少なくありません。頭脳流失の防止とか割拠論などとかっこ良いことをいう方は本当にまれでしょう。ほとんどが身内のシステムを守ろうとする農耕型思考からの感情論だと思います。小さな統一は外から見れば矛盾でいっぱいです。
 私は発展的な考えをしていくべきだと考えています。
 ただし、県外講習会で講師にでもなろうものなら、自ら偉いと思ってしまうことがあります。これは絶対に戒めなければなりません。
 あくまでも信念の伝達です。ノーベル賞受賞者は発見後何十年と認められずにいても、信念を貫いて生きてきた方々ばかりです。そのような姿勢を学ばなければなりません。


                  他都道府県での講習会を受託した理由
  
 多くの指導者は自分の指導法について常に内部証明をしながら実践に移そうとしていることと思います。もちろん私もそうです。
 ただし、良い練習法とは、それを実践してくれる選手がいて初めて生きるのです。研究室での結果は現場で証明されることが本来あるべき姿です。ノーベル賞を受賞した研究も世の発展の一助となって初めて受賞の対象となったはずです。
 そして、良い練習法には必ず価値が生じます。
 価値ある練習かどうかは初対面の選手や指導者に体験していただき、良いか悪いかを感じ取っていただかなければなりません。実に厳しいものです。
 しかし、価値あるものと判断していただければ、その練習方法は絶対的価値となり、互いの個の財産となるわけです。
 

                  他都道府県でやらなくてはならないこと

私が他都道府県の講習会に呼ばれてやらなくてはならないことの一つに、参加者からの信頼感を得ることがあります。
 講習会が始まり緊張した状態からおそるおそるやっていた練習も、いつの間にか信頼できる練習法だと感じてもらわなければなりません。
 それを感じ取っていただけないということになると、私の指導力や人間性の問題を問われることになるからです。逆に、感じ取っていただければ、講習会での単発の練習からいずれ継続的な実践になっていくはずです。そして、信用した人だけに、「自らの意思をもってこの練習をすれば強くなる」というエネルギーが生まれてくるのです。
 以上のことは、参加者の「この練習会に来てよかった」という思いを、私自身が感じ取ることで、とりあえずの完結を迎えます。そのためには、講習会における活動の質が問われるはずです。
 

                            私の体験から
 
@ 指導者は練習中の言葉で選手にやる気を与えてください。そして、試合の合間の言葉で選手の力を引き出してください。生きた言葉が使えるかどうかがすべてです。

A いつも同じ練習をしているだけでは試合には勝てません。試合に行って初めて体験することがどんなことか、己の感性で読み取り、読み取った力を行動力として発揮できる能力を培っておくことが必要です。毎日が違う一日と考えるべきです。

B 練習する側の立場に立ってスケジュールを組む事が大切です。いつも、ぎゅうぎゅう詰めのスケジュールでは選手のやる気はしぼむだけです。

C 大学の指導者や元一流選手の話を鵜呑みにせず、自分の力で指導することが指導者としての力をつけます。ただし独りよがりになり失敗することも覚悟をしなければなりません。
 私などは、指導書や一流選手の話の矛盾を探し、覆すことができるような練習法を開発することを趣味としていた時代もありました。生意気盛りのころのことです。

D 「一からチームを作ること」「弱体化したチームを再興させること」「強いチームをより強くすること」はすべて指導法が違います。常に指導法をチェックし、強化方策を確認しながら行うことが大切です。


                            私のこだわり
  
 私の夢の一つに“神がのぞきにくるような走りをさせてみたい”ということがあります。そんなことはあり得ないし、あったとしても検証は不可能でしょう。
 しかし夢の実現のためには何かをしないではいられません。
 そこで私は、『人間に潜在する速く走るための能力をすべて引き出すこと』を命題にしています。だからこそ、練習にはこだわりをもって取り組みたいのです。 
  そして大事なことは ―このことは年をとってきてどんどん膨らんでいます― (今までの話とは一見矛盾しているようですが)『選手が勝ったことは指導者の勝ちではない』ということを付け加えておきます。


    
終りに
   
 最近読んだ本の中に納得できる文を思い出しました。それを紹介し、今回の稿を閉じることにします。


 多様な背景をもつ多様な人々に対して、どんな場合でも、礼儀作法に適った端正な態度を取れるようにすること、それが国際性ということなのだ。人に会い、体験を積み、書物を読み、自分の考えを自分の言葉で人に伝える努力を重ねることが、国際性の養成への近道なのである。        『教育が日本をひらく・安西祐一郎著、国際性と礼儀作法より』
 

 私の才能や能力では国際的な講習会で講師になるなどということはあり得ないが、国際性を他都道府県と置き換えることは決して乱暴なことではないでしょう。
 今後、県外の団体等から講習会に呼んでいただくことがあるならば、出会いを大切に、多くの体験や書物から得た知智を生かし、自分の考えを自分の言葉で多くの人に伝えていきたいと確認できた、『80日間本州半分の旅』でした。

       
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
Vol.43「白と青、そして遊」
Vol.44「36−10」
Vol.45「この卯月に思ったこと」
Vol.46「スプリント」
Vol.47「”運”と”付”」
Vol.48「純粋にひたむきに」
Vol.49「オリンピックへの興味・関心」
Vol.50「ラストゲーム」
Vol.51「氣づき」
Vol.52「私見・学校というところ」
Vol.53「チーム」
Vol.54「遠征講習会」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo