Vol.5 (2006.1.8)
【睦月・小寒】  新 春 は 箱 根 と 共 に

平成18年度の初春をお祝い申し上げます。


平成18年度東京・日光間往復大学駅伝競走大会・・・? 何、今年から箱根じゃない、日光?過酷だよ、このコース。ちょっと電話で聞いてみる。「もしもし、Oさん。箱根から日光にコースが変わったらしいけれど、どっちがきついの?往路なんて全く登りばかりに感じるけれど、ゴールの中禅寺湖畔も寒いだろうね。」30年以上前に箱根駅伝で活躍していたOさんは「登り坂だけ考えたらいろは坂より箱根の方が辛いね。ただし、距離が問題だ。このコースはどこから走り始めるかわからないし。それと寒さだね。正月に雪のない中禅寺湖畔は考えられない。奥日光は北海道並みの寒さだから。」と的確な答え。
 
開催要項を見ると、【大手町・読売新聞社前】をスタートした後の中継所は、【草加〜春日部〜栗橋〜大平〜宇都宮〜今市】そして【中宮祠・二荒山神社前】がゴールの片道160kmとある。エーッ、14区間あるじゃないの。選手が集まらないよ。キロ3分ペースで行っても8時間かかるわけだから、日のあるうちにゴールできないチームも出るよ。

でも、今年の正月は朝が楽だな。東京まで行かずに利根川を越えたあたりで待っていればいいのだから。今朝の出発は8時でも間に合うな。でも、審判はしないで良かったのかな?ちょっと菅原に確認しなくちゃ。電話、電話。「もしもし、菅原?明けまして・・・」


 「お父さん、出かけるよ。元さん、エンジンかけてスタンバイしているよ。」と将司の声。 な、なんだ、夢か。そういえば、将司の箱根も小1からだから、20回の記念大会だな。

私は、箱根駅伝が始まるころ東京〜日光間の案もあったということを聞いたことがあります。しかし、東海道を走るからこそ、戦時中以外、すなわち気候の激変などにより中止にまではいたらなかったのでしょう。何と言っても、東京〜箱根間は、街在り、川在り、海在り、山在り、湖在りで、やはり正月の風物詩としてふさわしいコースだったのでしょう。20km強を10人で繋ぐということも・・・。

私の進学した東京教育大学は毎年シード権争いで苦慮していました。当時の駅伝監督は現在群馬大学監督の山西哲郎先生。学生運動で授業もままならない時代に、片手間の練習では走れない1人20km以上の距離に耐えられるよう、学生との話し合いの中で、競技者としてより、人間として持たねばならない価値観を重視し、納得の上で自ら練習する方法で指導していました。今あらためて先生の魅力に惹かれます。3年の時に2区の付き添いをし、4年の時には交通整理員としてジープに乗りました。今のように防寒対策万全のユニフォームなど無い時代です。北海道の品田君の兄上に借用した、ボブスレー日本代表のオーバーヤッケとオーバーパンツで強烈な寒さをしのぎながらジープに乗りこみました。

1974年1月2日朝7時。大手町でウォーミングアップする1区の選手を眼で追っていると、旧友のS君がいました。彼はあきらかに緊張しているように見てとれました。彼はN-T大学6連覇の重圧と戦っていたのです。八ツ山橋で待機していた我々の前を通過して行くS君の汗の量が、他選手に比べ異常に多かったことが思い起こされます。

2区では今でも語り草となっている光景に出会いました。中継所前の坂で、伴走車として使われていた自衛隊のジープに取り付けたマイクから飛んできた「Hが来たぞ〜」という驚愕の声。そして「ゼーゼー」という荒い呼吸。T-N大学の彼は何と12人抜いてトップに立ったのです。しばらく行くと、九州の某実業団から鳴り物入りで入学し、快調に走っていたはずのS大学のエースM選手が歩き始めるのが見えました。そして、何と立ち止まってしまったのです。N監督の「M、頼むから歩いて襷を繋いでくれ」という哀願の声が今でも忘れられません。また、4区の松並木や5区の急坂のロケーションが何故か脳裏に焼き付いています。

現在のように交通規制が完全では無かった頃のことです。6区の山下りで、私は選手の前を走る一般車両に、早く行ってくれとばかり旗を振りながら笛を鳴らし続けました。それでも選手は走行中の一般車両の脇をすり抜け、追い抜き、伴走車が付いていけないほどのスピードで走っていたことなど、2日間で箱根駅伝のすごさを見てしまった気がします。

人間の総合力を高めることは駅伝の強化につながるだろうが、駅伝の強化だけでは人間の総合力が高まるとは限りません。今の大学は駅伝にかけるウェイトが昔と違うようです。

中村清先生が率いていた時代の早稲田は、1万m28分台のエースが世界を目指しながらエース区間を走り、「箱根を走りたい」と浪人してまで入学してきた1万m30分台の選手が意気に感じて区間賞を取るような、夢のある時代でした。中村先生は「人間が陸上競技をやるのであって、陸上競技者が人間の代表というわけではない」とおっしゃられていました。今は今年の箱根が終われば来年の箱根に向けてスタートするような方法を取る大学が多いと聞きます。箱根の魅力をわからないわけではないだけに、そのやり方を否定はしません。しかし、大学駅伝の勢力が偏るとともに、短・跳・投の勢力も偏りがちになってはいないでしょうか。短距離出身者として、是非ともバランス良い学生陸上競技が展開されんことを望むばかりです。


再び、回想です。
中村先生が亡くなられてから、何年間か早稲田の駅伝の合宿に参加させていただきました。そんな縁もあって、佐野高校の部員とともに、電車を乗り継ぎ箱根まで早稲田の応援に行ったことあります。その時の思い出を少々、実名で書かせていただきます。

1986年の箱根駅伝のことです。
2区横浜駅前で団子になった先頭集団。川越学君(早稲田〜現資生堂、全日本学生選手権長距離2冠)と大八木君(駒澤〜現駒大)、鈴木君(日体〜現城西大)の三つ巴のデットヒートは鬼気迫るものがありました。意地と意地とのぶつかり合い、とはあのようなことをいうのでしょう。俺がエースだ!そんな3人の心が伝わり、私は鳥肌が立ちました。

その川越君は2区を走り終わるやいなや伴走車のジープに飛び乗りました。我々は4区を見ずに箱根の山中で待っていたのですが、川越君はジープの上から私を見つけるなり「木下、奥澤先生が応援に来てくれているぞ」と山登りをしている早稲田の選手に話しかけました。その声で、先頭を走りながらも、最も苦しい地点を走っていた木下哲彦君(現性・金)は私を見つけ、軽く会釈をして山を登り続けていきました。そして区間賞。ゴールをしてから祝福に行ったら「ありがとうございました。でも、あいさつをしたことは覚えていないのです。」と話してくれました。気を失いながら走っていたのです。

翌日、6区のスタートを見た後、急いで8区の中継所に駆けつけ、付き添いをしていた川越君の許可を得て、杉本和之君に面会させていただきましたが、杉本君の清んだ眼を見て感動しました。その杉本君は「遊行寺坂上で待っていてください」と言っておきながら、気を失っていたためか、指定の場所で「杉、ここからだ」と言いながら併走(約50m程)する私に気づかず走り去っていきました。後方から順天堂の桃太郎旗が身近に見えていましたが、そこからのスパートで逆転し、見事区間賞を獲得しました。

電車の乗り継ぎでの応援を数年した後、車の移動による応援に変わり、現在は電車と車を併用した応援をしています。
その間、Club S-J(現JUVY)会員の日体大の染宮君が7区を走った時や早稲田の新井君がアンカーを走った時、走る前の顔と会話が思い起こされます。2人とも素晴らしい顔で的確な受け答えをしてくれました。
                 
今年は私にとって参加選手中一人だけ親交のある、明治の細井君を中心に応援しました。アンカーの残り7km地点。細井君はハッキリと私を確認し、走りながら会釈をしてくれました。さらに、あの大観衆の中で私の声を聞きわけ、2度3度と頷きながらひたすらゴールを目指したのです。一般入試で宇都宮高校から明治に入学し、3年9区、4年アンカーと復路の重責を果たした細井君。終了後は結果を気にしていましたが、「今日は結果が気になるだろうが、箱根を目指した4年間よく頑張った。今日も含めて、この4年間が素晴らしかったのだ」と話しました。この貴重な4年間は、生かし方次第では必ず人生の宝になるはずです。その晩は、明治の元監督やコーチ、幹事の中に入らせていただき、中学時代の細井君の恩師・荒川先生も加わり、細井君抜きで、「細井君の人生に乾杯」しました。

JUVYのメンバーからも、箱根駅伝に出場する選手が出てくることを待っています。


本題です。今年の箱根駅伝の印象を書きます。お断りしておきますが、私は現役時代ほとんど中長距離の体験はありません。指導者になってからの佐野高校時代、京都(全国高校駅伝)を目指しました。大沢駅伝の3年連続優勝はありますが、全国大会の県予選は2位が最高です。従って、書きようによっては評論家めいた文体になるかもしれません。できるだけ感想として書くつもりですが、生意気な点が見られてもご容赦ください。

なお、この感想は、JUVY・GM新年の抱負に替えさせていただきます。

(その1) 
いつでも攻められる状況を持ちながら、守りに徹しているチームは強い。


【新年の抱負として】
ここぞというときがくるまで、じっと刀を研き続けましょう。

(その2)
勝ち方(作戦)を知っているとは、試合当日だけの対応ではないということを解っているチームは強い。

【新年の抱負として】
物の見方は、バードアイビュウとフォーカスの両面で考えましょう。

(その3)
大会当日の作戦を型にはめれば、作戦にはならない。作戦は基本として持つが、作戦にとらわれると動きがとれないで自滅する。あらゆる変化(外的環境、内的環境、戦局状況等)に応じて、選手が作戦を変えて行けるチームは強い。


【新年の抱負として】
自主独立、剛健不屈かつ明朗快活な生き方のできる子どもたちを育てましょう。


勝負の大切さは、命の大切さに比べれば天と地(宇宙と足下)の違いです。健康というしっかりとした土台の上で、勝負の世界が展開できるよう、価値や判断を誤ることなく、会員の皆様が今年も素晴らしい1年間が過ごせますようお祈り申し上げます。

皆さん、83回箱根駅伝はもうすぐですよ!1日1日を大切に生きて行きましょう! 

次回は【睦月・大寒】、テーマは「凛として颯爽と」です。



Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo