Vol.44(2008. 4. 8.)
【卯月の八】
36−10
                                  
                  (1)

 (財)スポーツ安全協会の常任幹事を仰せつかっていることから会議出席のため宮崎に出向いた。
 会議は全うに参加したが、レセプションはそこそこに、宮崎県の旧友から指定された郷土料理の店に向かった。
 宮崎には1979年の宮崎国体以来であるから、おおよそ30年ぶりである。街の様子を思い出せないのは当然であるが、大淀川の辺を歩いているうちにかすかにではあるが記憶が蘇ってきた。しかし、30年の年月は長い。
 
 郷土料理店で待っていてくれたのは、宮崎工業高校のI先生と私の大学時代の2年先輩の美人スプリンター(競技力も抜群)であったSさんのお二方であった。ちなみに、お二方は延岡西高校の同窓である。延岡西高校と言えば、1983年の名古屋インターハイと群馬国体400mで島田嘉紀(JUVY)さんと死闘を繰り広げた佐藤公一さんの母校である。
 
 「国体以来でしょうか」とたずねる私に、
 「数年前の大学のOB会で会ったでしょう」とSさん。
 
 記憶が曖昧になっている。印象深い出来事だけが脳に刻まれている。老ということか。
 しばらくすると、地元宮崎で中学校の校長をしているYさんと仕事で大分に来た共同通信のFさんが駆けつけた。そこに筑波大学の主将をし、現在県教育委員会のKさんも現れるという“陸上の話しで遊ぶ会”が即席にできあがった。
 
 Iさんから宮崎工業高校が今年2月に佐野で合宿をした理由についての説明があった。
 「その結果現在部員はすこぶる好調でインターハイでは勝負をしたい」と話が続き、いささか私の鼻も高くなった。


                  (2)

 今年2008年は北京でオリンピックが開催される。
 1972年は西ドイツのミュンヘンでオリンピックが開催された。その年私は大学3年生で競技生活は充実しきっていた。初めてオリンピックの最終予選会に出場した年である。
 あれから36年たつ。
 
ミュンヘン(西ドイツ)〜モントリオール(カナダ)〜モスクワ(ソヴィエト)〜ロス(USA)〜ソウル(韓国)〜バルセロナ(スペイン)〜アトランタ(USA)〜シドニー(オーストラリア)〜アテネ(ギリシャ)〜北京(中国)
 あれから10回目のオリンピックが今年開催される。
 
 「36−10」とは、あれから36年10回目のオリンピック開催ということなのである。

 
                  (3)
 
 私は中学時代からこまかく日誌をつけてきた。
 宮崎から栃木に戻りさっそく36年前の日誌をさがした。
 宮崎でSさんに話した、36年前の思い出“私へのアドバイス”はいつだったか調べてみたかったのである。
 それは1972年3月2日のことであり、大先輩のSさんもまもなく卒業し宮崎に帰る直前であった。
 
 1972年3月2日は次のような一日であった。
 
 “身体全体に疲労感がある”もうすぐ8:00だ。
 “怠い。しかし、布団の中はなんて心地よいのだろう”目覚めてからもうかれこれ1時間はたつようである。
 “今日の練習はフリーだから…”と勝手に判断し、朝練習をやめた自分に、ちょっぴりの罪悪感が入り込んでなかなか抜け出さない。
 のそのそと起き出した後、食パンにマーガリンと蜂蜜を塗って2枚、コーヒーを1杯にハム4切、みかんを3個にリンゴを1個食べた。起きてすぐ食べられるのであるから、内臓疲労はないらしい。
 軽く柔軟体操をしながら布団の上で「国盗り物語(司馬遼太郎)」を読んでいるうちに、あっという間に10:30になった。きりの良いところで栞をはさんだ。
 練習に行く覚悟もついた。
 グラゥンドは目と鼻の先である。
 ゆっくりジョッグとウォークを繰り返す。途中ウィンドスプリント150mを4本いれる。
 早めにスパイクをつけても大丈夫と判断し、軽くスタンディングダッシュを繰り返す。スターティングブロックが目に付いた。
 “やってみるか”もう少し楽にやって上がるはずであったが、身体が欲した。
 スタートダッシュ30mを7本した。“昨日に続き良い感覚”である。
 15m地点前後の立ち上がりがもたつくような気がした。パワーが…。スパイクを履いたままウェイト場に行き、バーベルの突き出し20kg×30回×3セット、空身のレッグランジ10回した直後40kgのバーベルをかついで10歩進む練習を3セット、それぞれの運動の合間には片足に5kgの負荷をかけてレッグレイズを10回おこなった。
 “これでOK!ダウンして飯だ。”
 
 クーリングダウンを終えて荷物を整理しようと鉄棒の前に行くとSさんがいた。
 
 「粘りのあるスプリントになってきているわね。」
 「スプリントの粘りとはどのような感覚ですか?」
 「粘りのあるスプリントか。」と言ってから少々間をおいて、
 「そうね、うまく下腿が大腿に巻き付いて、しぶとく待っていられることかな。前後の伸びが出てきているように見えるわけ…。」
 「自分としてはもう少し膝が上がらなければと思っているのですが…。」
 「膝が上がったからといって前に進むわけではないと思うけれど…」
 
 この日の会話がその後の自分のスプリント思想に大きな影響を与えたことがわかる。
 
 再びその日の生活。
 13:30に終了した練習の後の行動も書いておく。
 
 着替えて昼食を取る。
 近くの中華料理店でカレーライスの大盛りと野菜炒めを注文。食欲は旺盛である。
 そのまま保谷駅から西武池袋線に乗り後楽園ホールに向かう。
 沼田VS岩田戦(ボクシング)の観戦である。
 私は沼田義昭のアウトボクシングが好きである。しかし、チャンピオンの沼田は破れた。“すばらしいスピードをもってしても負けることがある。信じられない。”
 
 何かもやもやしながら帰宅、“ビールでも飲もうかな”と思ったが、帰ってから品田とマッサージをする約束を思い出し、焼きそばと餃子6個で我慢した。
 9:00には部屋に着いた。
 しかし、まだ沼田が負けたことが信じられない。小腹がすいた。冷蔵庫をあけるとバナナがあったので1本頂戴した。コップに牛乳を注ぎ一気に飲み干す。
 22:00になった。明日の朝練習が気になる。
 品田の部屋に行き、じゃんけん。勝った方先にマッサージをしてやる。私が勝ったので先にマッサージをしてやる。30分後私の部屋に戻る。今度は品田が私にマッサージをしてくれるわけである。マッサージをしてもらいながらうとうとが始まる。30分後には熟睡体制に入っていた。
 
 36年前の3月2日はこんな一日であった。
 Sさんとの会話がきっかけで36年前にタイムスリップすることができた。
 現在の斎藤仁志と同じ学年である。

 
                  (4)
 
 もう少し当時を振り返ってみる。
 
 Sさんは宮崎に帰る3月27日に私を訪ねてきてくれた。
 私はSさんが欲しがっていた月桂樹の枝で作られた冠を記念に渡し、握手して別れた。
 静岡の草薙合宿終了直後のことである。
 
 その日は7時に起きたが二度寝をする。
 10時に起きて部屋でボーッとしているとSさんが来た。Sさんが帰ってからは本屋とグランドをぶらぶらしている。落ち着かないのが手に取るように紙面からうかがえる。
 夕食後は19時から22時まで専門書を読みながら自分のスプリント思想をまとめている。
 
 ちなみに当日の食生活は、
 朝食は飯一杯、生卵、ハム、つけもの、みそ汁、牛乳
 昼食は飯一杯、ベーコンと卵とほうれん草の炒め物、漬け物、みそ汁、バナナ
 夕食はビールグラス2杯、飯一杯、シューマイ3個、鶏肉とコーンと人参のクリーム煮、コーヒー、とあり、この日は自炊していることがわかる。
 
 Sさんが来たことで刺激を受けたのか、自分のスプリントイメージを整理している。
 以下全文である。
 
 結局、今回の合宿は草薙のメイン競技場で走れなかった。250mのサブトラックと雨という環境しか与えられなかった。与えられた状況の中では比較的上の部類と考えているが、練習量、特に走り込みの不足は否めない。
 明日から4月中頃まで意識的に追い込もう。授業が始まると何かとあるから、とにかく休みのうちにやっておきたい。
 とは言っても明日は自転車エルゴの実験が入っている。正直面倒だ。今後いつまでも実験が続けば走る感覚が薄れていくような気がする。走らなければ気持ちが駄目になってしまうような気がする。しかし、実験でも全力は出したい。それでなければやる価値がない。単なる被験者ではいけない。自分自身が験者であらなければならないのだ。
 何か燃える。スプリントイメージがわき出ている。
 200mは最初から全力。ただし気持ちは楽に。全力とは、素早く脚を回す。フルテンポである。調子の良悪関係なしに行く。200mとしての駆け引きはあることはあるが…。
 400m当日の全速値の80〜90%で行く。特に200mを通過するまではそれを意識して行く。200〜300mまでは疲労感が自覚されるが、ここでも90%の意識を守り通し、直線に賭ける。
 昨年までの80〜90%の感覚は今の感覚より遅かったのではないか。今の感覚での80〜90%はかなり素早い脚の回転をイメージしている。
 そして、スプリント以外のことに余計なエネルギーを使って、自分自身で疲れを感じさせないようにすることである。
 
 今見れば幼い内容であるが、熱さだけは伝わってくる。
 こんなことでも、今の大学生の練習を見るときには非常に役に立つ。
 
 2日後の3月29日。スタート練習4本目に右ハムストリングを肉離れ。
 しかし、今から考えればよくぞ回復させたと思える日々が続く。
 4月22〜23日の栃木県春季大会に調整出場、5月13日の関東インカレの400mでは決勝進出、である。学生競技者として充実していたのだと思う。
 この時の回復過程もトレーナー業務に役立っている。

 
                  (5)
 
 さて、その後の36年間である。
 大学卒業後、佐野商業高校に1年、母校佐野高校に15年、田沼高校に8年(その間筑波大学に内地留学1年)そして、県教育委員会では健康教育7年・学校体育1年・生涯スポーツ1年、出向して体育協会に1年勤務してきた。定年まで残すところ4年である。
 
 そして、36年後の2008年3月27日は次のような一日でした。
 
 5:30起床、先に起きていた凛氣と居間(といっても凛氣の部屋のようなもの)で対面。元気なことを確認。家内と凛氣と散歩。リードは私、ウンチの処理は家内の係で30分。(Yahoo!ブログ〈リンキー日記―僕は生きている〉見てください。)
 個室に新聞を持ち込み、主要な記事だけを読むこと15分。
 その後朝食。「紅茶」「黒糖を少々(かじる)」「みそ汁(具は人参、玉葱、卵)」「バナナ」。
 6:50出発。本日はK氏の車に同乗。県庁駐車場から徒歩20分。8:25職場に到着。
 9:30まで文書決済。その後10:00まで転入者に講話。昼まで引継書の作成。
 昼飯は家内の特性弁当で、「飯(少々)」「ひじきと油揚げの煮物」「だし巻き卵」「かき菜のおひたし」「梅干し」「みそ汁(インスタント)」
 13:00より机の周りの整理。14:00〜16:00後任の事務局長と引継。
17:30まで書類を整理し業務終了。17:40退庁。帰りは昨日おいていった自分の車。
18:45自宅に戻り凛氣と戯れる。
19:00入浴(風呂の中で“週間司馬遼太郎V”を読む)
19:45夕食。まずはビール(小)で、つまみは「うど&わかめの酢味噌和え」「ブロッコリーのマヨネーズ和え」再びビール(小)で、つまみは「冷奴」「キムチ」「ふきのとうのおひたし」メインは「キノコとベーコンの和風スパゲティ」デザートは「伊予柑」。隣で凛氣が最後までドッグフードの手移しをもらいながらのご相伴。
一休み後、「四季の風」執筆。
23:30就寝。現在の体型は174cm、59kg。


                  (6)

 いつの間にか過ぎ去った36年、大学時代と現在を比較してみた。
 
1.目的
  (大)個人として知識を広め身体を鍛えた。
  (現)チームワークをもって仕事をし、仕事を通じて社会貢献を目指している。
2.縦の人間関係
  (大)先生や先輩から指導を受けていた。
  (現)上司からの命令を受けると同時に監督されている。(とはいっても私が所属長)
3.横の人間関係
  (大)同年代のためあまり気を使わないですんだ。
  (現)多世代のため上にも下にも気を使わなければならない。
4.評価
  (大)試験や試合の成績を通して(時には過程も)評価されていた。
  (現)上司や第三者からの評価を厳しく受けている。
5.拘束
  (大)授業や練習の時間帯を拘束。ただし自分の意志で変更できる場合もある。
  (現)8時間という長い就業時間。これは厳守しなければならない。
6.金
  (大)授業料を払う。ただし親の金。
  (現)給料をもらう。基本的には自分のもの。
7.食生活
  (大)競技者を意識しており、量も多い。
  (現)夜の酒を楽しみにしていることが一目瞭然である。
 
 書きながら、これほど違う生活だったのかと我ながら驚愕している。
 現役をやめても、(大)時代のような生活を追い続ける者がいる。そのような輩が指導者になったとき正常な指導ができるのであろうか。
 私もそのような夢を見たことがある。しかし今の考えは違う。一流競技者が現役を終えた後、社会が仕事の面倒を見る考え方には賛成だ。ただし、それは(現)をわきまえた人間にのみ許されることだと思う。権利の主張をはき違えて欲しくない。
 
 昔の仲間に逢い、大学時代に思いをはせるのは、スポーツ漬けの生活を送れた幸せの回顧か。親や全国の仲間に「ありがとうございます!」と言わなければ天罰がありそうだ。

 
                  (7)
 
 このエッセイは3月27に書いたが、ホームページに載るのは4月8日である。
 
 そのころは、昨年度全日本中学校陸上競技大会走幅跳優勝の武安良和君や200m3位の伊藤翔平君(彼らを2枚エースとした4×100mリレーも優勝している)らの有望選手がこぞって鹿沼東高校の入学式を済ませているはずだ。(という情報を得ている。)
 
 私はその鹿沼東高校の校長として4月1日に就任している。
 
 鹿沼東高校は1983年普通科の男女共学校として開校した。
 平成19年度の資料によれば、クラス数21、生徒数834名であり、“文武両道を貫き、進学校として地域から信頼され、嘱望される学校”を目指し、進学率93.2%、昨年は国公立に52名が合格している。
 陸上競技部は5年連続インターハイに出場し、県の強化指定校であり、OBには長距離(駅伝)・マラソンで活躍した佐藤千春(リクルート)さんや伊藤克昌(順天堂大学)さんらがいる。
 
 校長は直接生徒に指導はできない。とは言え、血が騒ぐことがあることは違いない。
 しかし、私の夢はあくまでもJUVYにある。JUVYに対しては今まで通りに情熱をもってあたりたい。その中で、多くの選手に影響を与えられたら私の使命は果たせる、はずである。
 そうでなければ、36年間、それぞれの年代においてそれぞれの所属ごとに戦ってきた旧友や弟子に失礼になる。


                  (8)
 
 36−10。
 36年間、10回のオリンピックを見ながら何を感じてきたのでしょうか。
 無駄であったと思うことがあってもよいのですが、悔いは残したくありません。
 とにかく今はJ8’sとともに36−10を成功させなければなりません。
 
 学生時代のように自由にやれる日まで、あと4年おあずけです。
 その時にはまた違った感性で40−11を目指すことでしょう。
 
 こんな思いにたどり着くことができたことで、また人生が有意義なものになりました。
 そのきっかけを作っていただいた宮崎の皆様に感謝申し上げます。
 
 いよいよシーズンイン。競技場で会いましょう。
 

       
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
Vol.43「白と青、そして遊」
Vol.44「36−10」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo