Vol.43(2000. 3. 8.)
【弥生の八】
 白と青、そして遊
                                     
    
 
  海に囲まれた土地に 雪がふり 雪がつもる
  見分けのつかない白い雪の上を 人間は走り 滑ってきた
  獲物を求めて 友を探して

 
 映画「札幌オリンピック」冒頭部分でナレーターの岸田今日子が語る詩である。


 私の住む佐野には雪はほとんどふらない。最近は特に、である。
 それでもこの冬は何度かの積雪があり、ゴルフ好きの私のスケジュールをくるわせた。

 
 第63回冬季国体スキー競技は2月19日から4日間、長野県野沢温泉村で開催された。
 私も1週間本物の雪国で過ごした。
 この村は温泉とスキーの街である。そして野沢菜が必ず食卓にある。ソウルで感じたキムチと同じで、地味だがとてつもない存在感がある。
 飴色につけられた野沢菜に一味唐辛子をふりかけ、それをつまみに飲む酒(酒は日本酒に限らず、ビール、はもとよりウィスキーにも合う)の五臓六腑へのしみ通り方は尋常ではない。
 宿舎の部屋の目の前には杉の大木があり、風が吹くと雪が払われ粉雪となって舞う。時に、勢いよく落下する。試合が終わり温泉に入ったあと、夕飯までの間そんな景色を見ながら時間をつぶしていた。野沢菜と酒を交互に口に運びながらであることは言うまでもない。
 
 スキーは雪がなければできない。人工雪もあるにはあるが、やはり天然には及ばないのは想像できる。国体に参加する選手も雪という環境に恵まれなければ厳しい戦いを強いられることは当然である。
 雪国の選手が夏のスポーツを戦う際のハンディと雪国以外の選手が冬のスポーツを戦う際のハンディを比べれば…、これは比較にならない。冬のスポーツは圧倒的に環境に左右される。
 
 野沢温泉村は連日ほぼ快晴であった。
 私は時間ができると野沢温泉村を散策した。
 ボーッと歩いていると、突然「ドサッ」という音とともに頭上から雪が落ちてくる。見上げれば屋根の上に人がいる。雪下ろしをしているのである。この「ドサッ」という音は、「雪のふらない土地からきた者が考えるほど雪国で暮らすことは楽ではないのだ」と言っているようであった。
 
 ある日、ゲレンデ脇にあるスキー博物館にも出向いた。
 “スキーは当初スポーツではなかった。生活そのもの、生きることそのものであった。”
生きるために必要なことをしているうちに、余裕の出てきた人間はそれらを次第に遊びにしてきた。それがスキーである。使いやすい道具の開発とともに遊びの要素も加わってきたのであろう。それが博物館での感想である。
 
 例えばバイアスロン競技などは雪の中を走りまわり射撃を行う。
 冒頭の詩の最後にある「獲物を求めて、友を探して」なのである。


 
    

 基本的に雪景色は墨絵の世界である。
 ところが晴れ間は墨絵の世界に青という色だけが別に塗られる。青い空には太陽がつきものであるから特に鮮烈である。明るさも際だつ。
 

 札幌オリンピックにおける宮ノ森シャンツェの日の丸飛行隊の活躍は青空の下であった。
 1本目が終わり、コメントを求めた馬鹿な記者を睨みながら無言で階段を上がる笠谷の顔は鬼気迫り、それはそれでものすごいものであるが、表彰式の晴れ晴れしい顔は白と青をバックにしてひときわ立体的に映っていた。

 
 今回、公式練習ではあるが選手が滑り降りてきて実際に飛び立つ(跳ではない)ジャンプを初めて見た。
 ジャイアントスラロームでも述べるが、スキー国体参加者のレベル差は大きく、踏み切った瞬間バタフライのように手をまわしながらバランスを取る者や突っ立ったまま50m手前に落ちる者がいるかと思えば、K点(野沢シャンツェは90m)を軽々越える者など様々で、あたかもジャンプ史を見るようであった。
 (ああ、こんな青空の中を赤と黒のユニフォームに身を包んだ笠谷が飛んできたのか)とあたかも札幌オリンピックを現地で見ていたかのような錯覚を覚えた。
 

 開始式で私は「信濃の国」(長野県民の歌)を熱唱した。1978年の長野国体で連日流れる信濃の国を聞いているうちにいつの間にか覚え、30年たった今でも歌えるのである。長野県選手団から遠く離れた選手団の中から一人だけ気持ちよく歌っているのは誰だ?とばかり顔を見られているうちに緊張してきた。終わったら汗がダラダラと流れた。心地よい緊張感である。まるで自分の試合に来ているように胸が高鳴った。
 

 クロスカントリーは2年前に経験した。見た目ほど易しくはないし、とても辛い。
 私が応援していた位置は平地から緩斜面を少々登り、その後下りに入るところであったので、誰も苦しそうな顔は見せないが、周回を重ねるごとに脚に来ているのははっきりわかった。ここでも10km 29分から45分までの選手が出場している。やはり雪国からの参加者が圧倒的に強い。
 
 ジャイアントスラロームは滑走距離約1,000m、標高差約300m、斜度約11〜53%のコースを60秒を切って降りてくる者から100秒以上かかる者までが出場していた。
 冬季競技独特の鳴り物が鳴り響くフィニッシュ地点から見上げれば白い壁の頂上付近に黒い豆粒が見える。選手である。しかし、フィニュッシュ地点から黒豆が視界に入るのは全距離の5分の3を過ぎてからとのこと。おおよその全体距離がつかめる。長い。
 中間点通過タイムが表示され、30秒を切っているとどよめきが起きる。そんな黒豆が現れると観衆は壁に釘付けになる。そのまま好滑走でフィニュッシュすれば大歓声、ほとんどの選手が「アーッ」の声とともに減速またはリタイアとなる。
 ここでも視界は白と青がキャンバスの大半を占める。その中を黒豆がだんだん色を変えながら大きくなってくる。黒豆は青や赤のユニフォームを着た選手に変わりフィニュッシュに飛びこむ。
 
 ジャンプにしてもクロスカントリーにしてもジャイアントスラロームにしても電光掲示板がなければ瞬時に順位はわからない。何となくはわかるが…。
 
 冬のスポーツの大部分がパートプレースもしくはパートタイムでしか見ることができない。アイスホッケーやフィギュアなど箱の中で戦う競技を除いてみなそうである。
 一人一人がとてつもなく強調されるスポーツである。一人遊びができないとむずかしい。
 


    遊(その1)
 
 2月21日読売新聞朝刊一面に“日本の知力、第2部 科学で考える”なる特集があり、次のような気になる語句があった。
 
  文化は遊びの形式の中に成立した。(ホイジンガ・オランダ)
 
    人類は言語を使って精緻なルールを作り、複雑高度な遊びを発達させてきた。
   政治や学問というものもそうした産物だ。(西村清和東京大学教授)
  
   動物は生きることと遊びが一体となっている。(畑正憲・動物学者)

 

 この朝、私は遊びに対する概念が少し変わった。
 
 遊びは仕事や学問と対比させなければならないものなのか。
 スポーツは常に真剣でなければならないのか。遊びではいけないのか。
 ラテン語でスポーツは「息抜き」や「遊び」と言われているが、それは遊びのない生活を美徳とし、無理矢理遊びを入れざるをえない哲学があったからではないか。
 誠に不謹慎な話しであるが、生きることそのものが遊びなのかもしれない。
 

 子どものころを思い出す。真剣に遊んでいた。本気で遊んでいた。遊びが仕事だった。大人はそれではいけないのか。
 そんなことを考えると、スポーツはものの見事に遊びであることに気付いた。
 仮に人生そのものが遊びととらえるならば、その中でも突出した遊びである。
 リフトに乗って高い場所まで行って滑り降りるスキーなどは遊びということ以外は思いつかない。
 そこに人間同士、仲間同士でルールを作っただけである。競技だ、レジャーだ、などと難しく考えることはない。それなりのルールを作って遊んでいるのだけである。
 

 佐野でも降雪のあった2月3日の朝、凛氣(ジャーマンシェパード雄1歳5ヶ月)と散歩に出た。
 いつものコースは公道だが、安全を優先し家の前にある土手を歩いた。
 しばらくすると、土手の端で立ち止まり、鼻で雪を押して雪の小片を下に落とし始めた。すると、雪の小片は下まで転がりながら土手の下に着く頃は野球のボール程度の雪だるまになっている。
 しばらく見つめて、数歩歩き同じ事を繰り返す。首をひねりながら雪だるまができるまでを凝視している。土手の下まで追いかけて行きたがるのを制止すると、数歩歩き再び雪だるまを作る。
 おもしろいのかどうかわからない。わからないが遊んでいるようにしか見えない。私からすれば遊んでいるように見えるが、果たして彼の心は…、わからない。
 
 彼は家の中でも遊ぶ。
 布きれや人形をくわえて私の足下(座っているときは腰の横)に落とす。私の目をずっと見ている。それを投げるのを待っている。30秒も待つと「早くして」とばかり「クゥーン」と甘えて催促する。それを投げると空中でキャッチしようと走り・跳ぶ。キャッチできるとリズム良く走って戻り、再び近くにおく。キャッチできなければ歩いて戻り、やはり近くにおく。遠くにおいたときには「とどかない!」といえば、すかさず近くまでくわえてくる。こちらが無視するか、彼が疲れて伏せるか、エンドレスである。まるで、アメリカンフットボールのランニングバックの選手のトレーニングのようである。
 彼が遊んでいるのか、私が遊ばれているのか。
 

 人間は遊ぶためにルールを作ってきた。言語があるからルールが作れる。動物も遊ぶのであろうが、ルールはないと考えるのは人間の傲慢さか。
 動物同士では遊びでケガをしない。凛氣も私との遊びで、私に危害は加えない。
 遊びでケガをするのはルールを作って遊んでいるはずの人間だけだ。ケガの中には喧嘩もある。中傷も含まれる。
 それは自分をわきまえるということを含め、ルールを守らないからである。
 
 遊びだからこそルールを大切にしなければならない。
 人生という魑魅魍魎なる中で現実的ともいえる遊びのルールは自らつくっておかなければならないのである。
 


   遊(その2)

 “スポーツがしやすい環境”を整えることは行政の仕事です。
 “スポーツをしたくなる心境”を与えることは指導者の仕事でしょう。
 
 今年は中国でオリンピックが開催されます。果たして北京の空は青くなるのでしょうか。
 1964年東京でオリンピックが開催された頃は高度経済成長の影響を受け、すでに大気汚染は始まっていました。大気汚染のレベルだけをとらえ中国を批判できないはずです。
 
 恵庭岳はまだ回復していません。
 簡単なことです。グラゥンド整備をしないチームにグラゥンドは貸しません。遊んだあと道具を片づけない子どもは遊んではいけないのです。

 
 大丈夫だろうか、2016年の東京オリンピック。
 

 今年は4年に一度ひときわ大きな夢を見て良い年です。
 夢とは、J8’s(今年からJUVYのエリート選手をジェイツと呼びたい)が日本代表となり、北京の環境(特に大気汚染)が改善され、青空の下でのびのびと遊んでいることです。

 
 他国で学問をすることを“遊学”と言いながら、勉強をしないでいる状態を“遊んでいる”という不思議さの中、神から見れば私の人生も全て遊びでしょう。
 
 言葉では言い表せない、辞書では訳せない遊びの世界を実感してみたくなりました。


 J8’sをはじめ会員諸君!本気で遊べ!子どものころのように!!

 
 幕末、27歳で永久の旅立ちをした長州藩士・高杉晋作は辞世の句を書こうと筆を取ったが、
    おもしろきこともなき世をおもしろく

 と書いて力尽き筆を落とした。
 病床で高杉に付き添っていた野村望東尼は、高杉の落とした筆を取り、

    棲みなすものは心なりけり

 と書いて、高杉に見せると、高杉は「おもしろいのー」と言って息を引き取ったといわれている。
   

   高杉にとって、彼の人生は楽しい遊びだったのかもしれない。
   

       
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」
Vol.41「広き世界」
Vol.42「スピード・スピード・スピード」
Vol.43「白と青、そして遊」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo