Vol.40(2007. 12. 8.)
【師走の八】
 「思いつくまま継走の如く」
  
                             
                           
 ときのたつのは
  
 
光陰矢のごとし。今の私は、まさに横道など見ずに真っ直ぐに人生を走っている、ブリンカーを装着した競走馬の如くです。
 一日一日が早いから、その積み重ねの1年などあっという間です。
 
 「満一歳の子どもは1歳分の一年だから1.0、50歳の大人は50歳分の一年だから、0.02に、それぞれ感じるから大人になればなるほど一年が短いのだ。」と聞いたことがあります。科学的には1年の長さは同じでも、歳を重ねれば感覚的には短く感じるようになって来ていることが実感としてわかります。
 
 年が明ければ56歳。私くらいの年齢になったら期限を決めて目標を立て、回り道せず目標に向かっていかなければならないのです。おおざっぱな目標や夢では駄目です。何しろいつまでも時間があるわけではないからです。
 計画は1オリンピアード単位(4年)では長すぎます。2年で成果を上げる覚悟が必要と自覚しているこのごろです。
 また、若い頃と同じペースで活動していては駄目です。やはり齢相応に、やることを絞り込むとか、方向を転換することが必要です。
 
 生き急ぎはしません。しませんが、
 「これは勉強になった」などとのんきなことも言っていられません。そんな心境です。
 
 五十路になってからの自分は、感性が変わってきたのか、感性に磨きがかかってきたのか、見えなかったモノが見えるようになってきたのか、とにかくしっかりと目標がイメージでき、良い仕事ができるようになってきたのではないかと自負しています。
 
 この状態がいつまで続くか。
 自分を見つめる一つの指標でもあるようです。
 


                                 遠慮
 
 若い頃から強烈な異才をはなっていた作詞家の阿久悠氏が今年8月1日に亡くなりました。あらためて、すさまじい人だったと思います。
 氏は大手広告代理店から作詞のプロに転身したわけですが、このように人生を自ら切り開く方のパワーは半端ではありませんから、成功なさるのでしょう。
 
 私は、氏が次のようなことを話すのを聞いて驚いたことがあります。
「やっていいというなら、もっと思い切ったものを創りますよ。本音を言えば、このままでは自分が小さくなっていってしまうのでは、と思っていましたから。」
 
 これを聞いて、あれだけ自由な発想で人の心をとらえる詩を作ってきた人でも世の中に遠慮していることを知り、(皆同じだ)とホッとする反面、自分も遠慮することなく自由に表現してみたらどうか、と思いました。
 
 しかし、そこは公務員。なかなか難しいものがあります。言いたいこと、やりたいことをしているように見える私ですが、実は遠慮の固まりなのです。
 例えばこの“JGMの四季の風”でも、本音の文章はなかなか書けません。
 還暦を過ぎ、公職をリタイアしたら暴露本でも…、
と密かに思っていますが…。


  
                                  うた
                      
 阿久悠さんといえば、いろいろなジャンルの詩を作られたかたです。
 氏の作られた詩は私の生きてきた時代と重なる部分が長いことから、曲として流れるとそのころの情景が浮かびます。
 
 別に阿久悠作詞のものでなくとも、一杯飲みながら懐メロを聴いて(見て)いると、涙腺がゆるむことは度々あります。
 それは、情景を思い出す〜脳が刺激を受ける〜感情を刺激する〜五感の嵐が全身を駆けめぐる〜どうにもならずに涙腺がゆるむ、という連鎖なのでしょう。
 
 私は唄が好きだったのか、祖父母や父母が口ずさんでいた唄を今でもほとんど歌えます。ただし、♪赤いリンゴに唇寄せて…(「リンゴの唄」サトウハチロー詩)、などは歌えますが、五感の嵐は巻き起こりません。
 祖母は、♪母は来ました今日も来た…(「岸壁の母」藤田まさと詩)と二葉百合子が歌い始めると、TVにかじりつきながら涙していたのを思い出します。
 祖母の三男(私の叔父)は第二次世界大戦で行方がわからないまま、「戦死」と連絡が来たそうです。祖母は、きっと帰って来る、と信じていたのでしょう。1972年ころのことです。
 その叔父に私はそっくりといわれていました。
 私は「岸壁の母」も歌えます。歌えますが、感情は借り物で本物ではありません。だから涙はありません。
  


            変えられるものと変えられないもの
 
 変えられるもの〈自分〉〈組織〉〈思考〉〈未来〉など
 変えられないもの〈他人〉〈環境〉〈感情〉〈過去〉など
  
 この中で、どうにも複雑でわからないものが感情です。
 この感情というものは、時には涙、時には笑いとなり、結果的に人生の調味料になっているのかもしれません。
 
 ♪胸にしみる空の輝き、今日も遠く眺め涙を流す…「悲しくてやりきれない」や、♪こよなく晴れた大空を悲しいと思う切なさよ…「長崎の鐘」(いずれもサトウハチロー詩)などまさしく感情の世界です。
 綺麗な空を見て涙する心は他人にはわかってもらえないような、複雑かつ当事者にとっては濃い感情なのでしょう。
 
 輝くような空を見れば、爽やかに気分になり、少しくらいの悩みは忘れてしまうというのが一般的なものでしょう。
 1964年10月10日、東京オリンピックの開会式は「世界中の青空を東京に集めたような日」と言われました。私、中学一年の10月10日のこと。夢中になって自転車のペダルを踏み続け、汗びっしょりで家に帰ったのを覚えています。
 
 日本が敗戦後20年弱でここまで復興することができるとは誰が信じたでしょう。多くの日本人がこの日の空を見て日本人としての自信をもったことでしょう。と思うのは今の心境、当時はそんなことを思うはずがありません。
 
 ついでに言わせてもらえば、経済成長を最高の価値として、金儲けにうつつを抜かし、世界一の道徳心を持つと自他共に認めていた国民が道徳心を忘れています。
 今になって授業に道徳を入れるなど、バブルがはじけて何年たったのか、未だ気付かぬ日本のリーダーの心はどうしようもなくなっている気がします。      
 何とか、2016年の東京オリンピック誘致における国民の活動として、「日本の持つ道徳心の復活」もテーマに入れてもらいたいと思います。
 
 閑話休題。
 
 感情は個人の所有するものですから一般論では通用しません。
 よく、感情を殺せ、などといわれますが、感情は殺せません。思考回路を整理して感情を抑えているだけです。
 ということは、感情は変えられないであろう、ということになりますから、人間社会で生きていくためには思考を高める必要がある、ということになります。
 変えられるであろう思考も、変えられないであろう感情も大切なものとしてとらえ、人間として生きていかなければなりません。                              

 
                               ひらめき
 
 櫻井剛彦先生のヒラメキは天下一品です。練習も計画などなくてもどんどん進みます。先生はよく「ひらめいた」と言います。体験なされた方はわかると思いますが、先生がひらめかれた時には、前もって準備していたのではないですか?と言いたいくらい理路整然と説明され、聴く側(選手や研修コーチ等)は吸い込まれ、身体は自然と正しく動き、成功へのレール上を走り始めてしまうのです。
 
 ヒラメキとは思考でしょうか、感情でしょうか。
 将棋の羽生名人は「直感とは膨大な経験知識が存在している無意識層からの上澄みが顕在脳に上がってきたもの」と言っている、とトナメール(戸並隆著)に紹介されていました。ここで言う直感とは無意識パワーの代表であるヒラメキそのものです。
 
 となると、ヒラメキとは経験智や学習智から得た思考の脳内蓄積が、突然無意識にあたかも預言のごとく出現することなのかもしれません。
 そのような現象を「神の降臨」と思っても不思議ではないのです。
 


                                関ヶ原
 
 先月は浜松、札幌、名古屋、前橋と出張が続き、まさしく旅の人でありました。
 先述の2016―TOKYOの情報もありますので、札幌での話しも書きたいのですが、ここでは名古屋でのことを書きます。正確には名古屋での会議終了後のことです。
 
 名古屋から東海道線で京都方面に向かい、岐阜〜大垣と過ぎると「関ヶ原」という小さな駅があります。米原の少し手前になりますから、岐阜とはいえ滋賀との県境に位置します。駅は東武佐野線の田沼駅程度の大きさでしょうか。
 と言いますのは、私は大垣駅で地元のA氏と待ち合わせ、車で関ヶ原に向かったため関ヶ原駅は自動車内から眺めただけで利用はしていなかったのです。
 
 本心としては「天下分け目の合戦場・関ヶ原」を一人歩き、何かを感じてきたかったのですが、A氏に、
 「そんな短い時間(私の予定の時間内)では歩いて全て見ることは不可能です。第一私の現在の脚力では付き合えません。」
 と言われ、素直な気持ちで同乗させていただいたわけです。
 
 関ヶ原は山に囲まれた小さな町ですが、合戦当時は原っぱだったに相違ありません。
 壬申の乱で有名な不破の関もあることからすると、不破の関と原っぱが一緒になり関ヶ原となったのかもしれませんが、真偽のほどはわかりません。
 
 関ヶ原の合戦は徳川家康を中心とした東軍と石田三成を中心とした西軍が戦い、徳川長期政権の基になった戦いとして有名です。
 卑怯な戦いを嫌い、夜討ちなどはとんでもないという姿勢で東軍を迎え撃った三成です。そのような人物は当時の武将のリーダーとしては二流以下でしょう。
 そんな三成ですから、寝返りがあることを頭でわかっていても、そんなことが自分の周りでおきるなどということは感覚的に持ち合わせていなかったのかもしれません。
 それに対し、三方原では脱糞しながら浜松に逃げ帰るなどの経験を重ね、したたかな武将となっていた家康は非情な戦いをすることに何の抵抗感も持たなくなっていたことは当然だったと思われます。
 
 当時の武将がどちらに就くか。東か西か。その決定は、思考か感情かヒラメキか。
 
 結果的には19歳の小早川秀秋の日和見からの寝返りが勝敗の行方を早めたようですが、これとて家康が秀秋の恐怖感情をあおるような戦法をもって寝返りを仕掛けているのです。
 19歳の秀秋には思考の蓄積が少ないのと同時に感情を制御する思考も持ち合わせることもなく、ヒラメキを導き出す脳も未熟であったのでしょう。
 
 三成が陣をひいた笹尾山に登りました。関ヶ原が一望できます。
 
 家康は桃配山に最初陣を敷きましたが、一望できる場所ではなかったために徐々に前進してきました。しかも、知と験と霊の総合力を併せ持ったヒラメキをもってしてですからたまりません。
 
 決戦の地は三成の陣の目の前でした。三成はどのような思いで負け戦を受けとめたのでしょうか。
 
 この項多少長くなりました。
 
 今度は一日かけて歩いて関ヶ原を回りたいと思います。今回の旅の心残りはA氏の予告通り時間が足りず、小早川が陣を敷いた松尾山に登れなかったことです。
 
 帰ってから文献をあさっていたら、司馬遼太郎が「残したい“日本”」の史跡旧蹟部門で、ただ一カ所「美濃・関ヶ原盆地のたたずまい」をあげています。
 なおさら、心残りを解決しておかなければ、と思いました。
                                


                                心残り

 平成19年も残り少なくなってきました。
 読者諸兄には心残りというモノはありませんか。
 心残りと言えばあきらめが悪いこと、といった意味にとらえがちですが、見方を変えれば悪いこととは言えません。
 
 心残り、すなわちどこかに心を残してきたということは、眼には見えなくも脳内でははっきりと見えるモノを忘れてきた、ということです。
 それならば忘れてきたモノは何だったか確認し、忘れてきたモノを取りに行くことも来年の目標の一つに入れる必要がありそうです。
 忘れたモノを取りに行くと言っても、それはリベンジ(revenge:仕返し)やリターンマッチ(return-match:再戦)といった、成果(目に見えるモノ)を求めるものではありません。
 忘れてきたモノとはモノの見方、モノの考え方です。
 今年負けた相手に来年勝ったからといっても、残るのは思い出と次戦での油断くらいなものでしょう。
 そんなことより、自分のした誤りを発見し、どのように考え、どのように実践したらよいかということを確立していくことが、本当の忘れ物の探し方なのです。
 人生で応用できるものこそ宝なのです。
 
 心残りとは心残しでもあります。
 心をどこに残してきたのか、今一度考えて見ませんか。
 私は長居に残してきたものが今年を象徴するもので、ここから心に道筋を教えてやれば多くのことが解決でき、解決できた時が人生の宝を一つだけ掴む時と思っています。


 
                                  冬萌
                                      
 多くの冬のゴルフ場の芝(高麗芝)は枯れています。
 ところが、ターフを取ると枯れた芝の中に芽吹いている緑の茎が見えることがあります。
これが冬萌(ふゆもえ)です。
 
 今年の冬は寒そうですね。
 しかし、その冬の寒さをはね返す力強い生命力が植物の中にあることを学びながら、今年忘れてきたモノを見つけに行き、取ってくるための準備を進めましょう。
 皆さんの心身の中に、ほんの少しの冬萌の芝が息吹いていることを信じています。
 
 来年は4年に一度のオリンピックイヤー!
 上から下を引き上げるか、下から上に刺激をあたえるか。メンバー一人一人の心意気が来年を占います。
 
 辛いと言っても、あっという間に過ぎ去る冬の練習。
 皆さんをじっくりと見守りたいと思います。
 
 正月2〜3日は久しぶりにクラブハウスで過ごします。
 ぜひ遊びにきてください。


       
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」
Vol.35「2007年 JUVY TC前期総括」
Vol.36「今日まで、そして明日から」
Vol.37「国体関ブロ観戦記」
Vol.38「想いを文字で伝えるということ」
Vol.39「人間の運命について」
Vol.40「思いつくまま継走の如く」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo