Vol.34(2007. 6. 8.)
【水無月の八】
 「インカレ」ーその日、選手は誰のために走り、跳び、投げるのかー
 
                   (1)
 
 学生スポーツについて書こうと思う。
 
 初っぱなから結論である。
 「学生スポーツは義理や打算でやるものではない。」
 
 東京六大学野球リーグ戦や関東大学ラグビーフットボール対抗戦そして箱根駅伝などを生で見たことがある方は、学生スポーツは何か一味違ったものを秘めていると思われたのではなかろうか。
 特に野球の「早慶戦」、ラグビーの「早明戦」、駅伝の「優勝争いとシード権争い」はマスコミが積極的に取り扱うこともあり、心に強烈な揺さぶりを受ける。
 六大学野球では倅2人が立教と慶応で、ラグビーでは早大の藤掛君が、駅伝では早大の川越君や金君が、それぞれ学生スポーツにどっぷりとつかっている時代に、レアなつきあいができたことが、現在の私の思いにつながっているのかもしれない。
 最近では慶応大学野球部の松橋君や川崎君の試合を見て、エネルギーをいただいている。彼らはJUVYに練習に来ていることもあり、彼らの試合が終わりに近づくと、このまま終わってしまうのはもったいない、ずっと続けていて欲しい、とさえ思う。もちろん、ラグビーのロスタイムも、箱根の10区も、インカレのマイルリレーのスタート前も、全く同じである。
 

                   (2)
 
 「スポーツ振興基本計画」総論の中から「スポーツの意義」について抜粋すると、
 『スポーツは人生を豊かにし、充実したものにするとともに、人間の身体的・精神的な欲求にこたえる世界共通の人類の文化の一つである。心身の両面に影響を与える文化としてのスポーツは、明るく豊かで活力に満ちた社会の形成や個々人の心身の健全な発達に必要不可欠なものであり…(略)。スポーツは、人間の可能性の極限を追求する営みという意義を有しており、競技スポーツに打ち込む競技者のひたむきな姿は、国民のスポーツへの関心を高め、国民に夢や感動を与えるなど、活力ある健全な社会の形成にも貢献するものである。』
とある。
 さらに、『スポーツは、青少年の心身の健全な発達を促すものであり、特に自己責任、克己心やフェアプレイの精神を培うものである。また、仲間や指導者との交流を通じて、コミュニケーション能力を育成し、豊かな心と他人に対する思いやりをはぐくむ。』
としている。

 たかが、学生のやること、ましてやスポーツではないか、などと言わないで欲しいし、思わないで欲しい。
 彼らが学生スポーツに取り組み、己の持つ可能性の極限をめざす課程で、責任感や克己心、フェアプレイ精神などが磨かれ人生の宝となっていくのである。
 
 スポーツはカクテルである。いろいろな味を組み合わせておいしく酔わせてくれる。
 学生と名のつくスポーツカクテルは、精神性という味が濃くなりそのことで味が偏るかもしれないが、これほど強く酔わせてくれるカクテルはない。まさしく通が飲み干し、味わうものかもしれない。
 
 スポーツに真剣に取り組む学生を見ていると、強烈な感動を覚え、何とかサポートしてやりたいと思い、彼らをいかように支援すべきか、という命題解決策を常に考えている。そのおかげで、指導者としての自己開発は常に高いレベルを求めている。
 

                   (3)
 
 素晴らしい学生スポーツでも、思考が優勝劣敗に片寄ると次のような問題点も起きてくる。最近の体験から二つほど述べてみる。

 一つ目は、他校排斥思考である。
 実は、昨年のインカレでそのようなことを味わった。私が某大学の休息所の片隅で食事
をしていたら、出て行けと言わんばかりの言動をとった学生がいたのである。そのような学生はもとより、そのような学生を守ろうとする指導者も私は信じられなくなった。しかも、その大学が教員養成の大学だったことによりショックを受けた。1年たった今でも日本の将来のスポーツ界を憂えなければならないような出来事であったと、頭からなかなか消えてくれない。
 「スポーツマンシップに乾杯!」と箱根駅伝のコマーシャルにあるではないか。フェローシップを含めた精神性の開発も学生スポーツの特徴であると思う。
 
 二つ目は、大学指導者絶対主義思考である。
 大学の指導者の中には、高校時代の指導者が卒業生と話しをすることにさえ不快に思う方もいるらしい。幸い、我が母校、筑波大学の宮下先生や谷川コーチにはそのようなことはない。というより、私を大事にしてくれる。
 この問題は昔から多くのジュニア指導者から取りざたされてきた。しかし最近の私は、選手が大学の指導者と高校の指導者の間に入り犠牲になるのではないかと思い、選手に迷惑がかからないような言動を心がけている。選手の成長のためには指導者が互いに自分を殺すのは当然である。あくまでも、選手優先主義でなければならないからである。
 しかし、そのようなことを心がけながらも、現実に起きていることに疑問に感じているのは私だけではないはずである。不調に陥る学生に、帰省を許さないのがよい例である。
組織としての規則を尊重するのか、個を尊重するのか、高野連の特待生問題を笑えない。
 
 大学のコーチも、JUVYのコーチも、天から陸上競技場に派遣された客人にすぎない。陸上競技という名の下には平等なのである。
 言葉は選ばなければならないが、指導することにおいて、誰に遠慮することがあるのか。
 

                   (4)
 
関東インカレ…正式には関東学生陸上競技対校選手権大会というが、今時の学生は「関カレ」などと呼んでいるようである。
私の学生時代は、「関東インカレ」と呼んでいたように記憶する。
 日本インカレ…正式には日本学生陸上競技対校選手権大会というが、今時の学生は「全カレ」と呼んでいるようである。
私の学生時代は「全日本」と呼んでいたように記憶する。
 
 私がインカレを意識したのは中学時代にコーチの中田氏から、早稲田のエンジのユニフォームのかっこよさについての思いを聞いた時である。
 高校時代は陸上に明け暮れた結果、3年生では念願のインターハイに出場することができた。しかし、200mで9番目の記録で決勝に進めなかった。この悔しさが早稲田の文学部志望を東京教育大学体育学部への受験と決意させた。漠然とインカレで活躍したいと思いはじめたころである。机の前に「桐の葉」を飾って受験勉強に取り組んだ。
 そして、自分のためだけでなく走る時もあるということから、運命の不思議さを味わうわけであるが、そのこと(運命というもの)についてはいつの日か書こうと思う。
 
 1970年、大学入学して50日後には関東インカレの100mに出場した。大学入学最初の試合が日本選手権の4×400mRの第1走者であり、次が100mという滅茶苦茶なものである。そのことは全く理由にはならないが、全く歯が立たず予選で落選した。
 当時、監督やコーチは練習にはほとんど姿をみせない。相談するにも一部の先輩を除き、上級生の話も自分の競技観から理解できないことが多く、同期の品田との会話が勉強でありであり、先輩に内緒でフリーの日に佐野高校に戻って後輩と練習することが充電であった。
 
 1年の冬は「見返してやる」の一心で自らに猛練習を課した。休日は一日中練習しているような陸上競技中心の生活をしてきた成果が出たのか、3月の記録会(200m)では学内トップの記録で走れた。その結果、両リレーメンバー当確となった。
 以降、アキレス腱炎のため決勝を走れなかった3年の全日本インカレを除いて、4×100mRと4×400mRのメンバーとして5回、すべて決勝に駒を進めることができた。
 
 大学4年の全日本インカレ4×400mR優勝は、その年の東京教育大学全運動部を通して唯一の優勝であった。さらには、(翌年から筑波大学名でインカレに出場するため)東京教育大学という大学名での陸上競技部最後の優勝でもあった。しかも、メンバー中4年生は私一人ということから、感傷的な気分で走った。ブロック長として、学生コーチ的な役割をしながら選手として走り、奇跡的な優勝を遂げたことが、その後の自分の人生に大きな自信となったことは言うまでもない。
 

                   (5)
 
 大学卒業以来、関東、全日本両インカレとも見学に行かなかった年はない。
 私はインカレという言葉を見聞するだけで、陸上競技者としての血がさわぐ。
 
 今年も関東インカレを楽しんだ。
 とは言え、プレッシャーもかかっていた。JUVY TCとして、今までやってきたことを自己評価し、他のクラブから厳しい評価を受けなければならない大会であったからである。
 インカレ前の合宿では大学生にインカレの意義を説いた。筑波には2週に1度のペースで品田や斎藤の様子を見に出向いた。JUVYの学生とは可能な限り電話とメールで感性を伝え、氣を与えた。
 
 4月の春季大会の折、栃木の陸上競技界ではリーダー的存在の方が、
 「大学生を指導することは簡単だろう。」と、まさしく評論家のごとく話しかけてきた。私は否定しなかったが、このような精神構造しか持ち合わせていない者が栃木のリーダーでは、栃木の競技力が遅々として向上しない理由が簡単明快に解けた。同時に情けなくなった。
 
 関東インカレ当日はJUVY TCメンバーの試合を見ることはもちろん、ウォーミングアップも付き合った。川田マネも女子三段跳の飯山選手の指導に駆けつけた。多くの大学の指導者からは、こいつらは何者だ、という顔をされた(ような気がする)。しかし、私は意に介さなかった。
 
 国立競技場にサブトラックはない。時には、東京都体育館の猫の額ほどのグラゥンドを利用したり外苑野球場に特設サブトラックを作り、そこを使用することもあるが、基本的にはランプ下の薄暗くて狭い場所でウォーミングアップを行う。暗くて狭いからスプリンターが走り始めると猛スピードで走っているように感じる。暗くて狭いから緊張感がひしひしと伝わる。特に、1部校のスプリントレース決勝前は、そこにいること自体が怖い、と言う者さえいる。
 
 そのような場所で4日間集中した。楽しかった。スタンドで単に競技を見ることは、スポーツ独特のドラマ性があることから、娯楽的な楽しさもある。しかし、私は競技者を観るということに、本物の楽しさを求めている。このような深みのある楽しさは何とも言えない充足感がある。アルコール度数の高い酒を飲んでいるようなものである。酔えるのである。
 
 競技者を観るということは、選手の内在力を発揮させるためのアドバイスをするために重要な視点である。見えないものも観るわけであるから、観たものが競技者の感覚と同一のものでなければならない。アドバイスは、アドバイスを受けた競技者がわかりやすく、理解しやすく、すぐに実行にうつせるもの、でなければならない。
 
 今回私が感じたこととして、『大半の指導者は感想を指導に換える。私は感性を指導に生す。』ということがあった。
 感じたことを蒸留し濃いエキスで飲ませると、飲んだ者の酔いも早い。骨の髄まで入り込む。(これが通用しない選手もいるにはいたが…。)感性をエキスに換える。指導者の醍醐味である。
 
 ところで、インカレまでの過ごし方は競技成績に大きな影響を与えるはずである。現場をあずかる大学の指導者の真剣味がどこまで学生に伝わっているのか。そのことについても、私は大学ごとの微妙な差を感じていた。
 
 選手というものは応援ですさまじいくらいに燃えることができる。氣が乗り移るのであろう。
 東京六大学野球は応援団や応援指導部が素晴らしい応援合戦を繰り広げる。ラグビーでは目の肥えたスタジアム内のファンが1プレイごとにどよめく。駅伝は誰彼ともなく路上に現れ声援を送る。
 陸上競技のインカレには応援合戦なるものがある。仲間の応援をもらって走り、跳び、投げる。各大学にリーダーらしき者がおり、見事な調和を見せ、他校の応援を圧倒しようとする。中には似非応援があることは、こちとら承知である。同僚でありながら、心の中で睨み合っている者に対しては邪気しか送れるはずがない。人の世の常である。残念ながらJUVYのメンバーの中にも応援されながらも、実は足を引っ張られていた者がいたかもしれない。
 
 冬の間に開発してきた能力を発揮するためには特殊な訓練をしなければならない。
 インカレで勝利するためには開発された能力をいかに発揮できるかにかかっている。
 3月中の練習は、開発されたものがどのようなもので、どれくらいあるかの確認。
 4月になると発揮できるようにするための準備。
 選手決定後の10日間は勝つための心と身体の調和。
 これらが、応援してくれる人たちや試合に出場するチームメートと一体となって行われてきたかどうか。インカレ当日だけがインカレではないのである。

 
                   (6)
 
 今年の関東インカレにJUVY TC は延べ29種目に出場し、結果は以下の通りであった。(ただし、JUVY設立時から昨年までの会員で集計)
 
◆男子1部校 延べ12種目出場中8種目入賞、得点33点(入賞率67%)
◆男子2部校 延べ11種目出場中4種目入賞、得点16点(入賞率36%)
◆女子    延べ 6種目出場中5種目入賞、得点23点(入賞率83%)
◇総合    延べ29種目出場中17種目入賞、得点72点(入賞率59%)
 
 1983年月刊陸上競技6月号に関東インカレ特集がある。その中に、「佐野高校総合優勝」の活字が踊っている。詳しく言えば、「出身高校別関東インカレ1部校得点集計の結果、栃木・佐野高校が最も点数を取った。」という記事である。(故・別所功氏による) 
 
 私は、このことに誇りを持って生きてきた。
 「私の教え子は大学に行ってから伸びる者が多い!」。
 「私の教え子は大事な場面で力を発揮できるよう、人間としての総合力を高めている!」。
 
 今回の関東インカレのJUVY TC 評価はいかがなものであったか。
 おそらく、出身校別得点やクラブチーム別得点でもトップレベルにあると思う。
 しかし、スポーツは永遠に行われるべきものであり、永遠に続くはずである。今回の評価も歴史が評価してくれるものだと思っている。なぜなら、JUVY TC のインカレは始まったばかりなのだから。
 
 今年は世界選手権が大阪である。世界選手権に出場するためには6月29日から始まる日本選手権がかなりのウェイトをしめる。
 すでに標準記録を突破している者はインカレを叩き台にしたかもしれない。標準記録に王手がかかっている者にとっては、何とか条件(気温や風など)が整って欲しいと、余計な精神的エネルギーも使ったかもしれない。
 いろいろな思惑が重なりながら、淡々と進んだ今年の関東インカレ。
 
 しかし、インカレというものは、世界選手権の標準記録を破っている選手も、インカレに出場することに命をかけてきた選手も、伴侶に、師に、親に、感謝の心を持って走り、跳び、投げる大会なのである。
 この大会で感謝の心の本質がつかめないようでは、一生かかっても感謝の心など得られるわけがない。
 
 この日だけは、自分はもちろん、他の誰かのためにも、走り、跳び、投げたはずである。
 今年も、その裏側を垣間見ることができた。
 
 やっぱり、学生スポーツっていいですね!
 
 6月8日からは日本インカレ。
 皆さん東京・千駄ヶ谷、国立競技場に学生のエネルギーをいただきに行きましょう。
 各大学の陸上競技部(競走部)諸君!「出せ若人の底力!!」です。
 
       
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.32「我家の凜氣」
Vol.33「食」
Vol.34「インカレ」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo