Vol.32(2007. 4. 8.)
【卯月の八】 「我家の凜氣」
 
 2006年9月22日、千葉県に生まれる。
 本名:Balder vom Nabaki-sow(バルダー フォム ナバキソウ)
 愛称:凛氣・LINKEE・リンキー
 
 2006年11月23日、千葉県八千代市の大沢家から我家にやってきた、牡のジャーマンシェパードのデータである。
 
 この原稿を書いた3月末日の体重はおおよそ25kgである。我家に来たときの体重は4.2kgであった。妻の膝にすっぽり乗って、千葉から我が家まで道中をおとなしくやってきた時のことを考えると、随分と大きくなったものである。
 体重は大きさを表す目安になるが、見た目の大きさはやはり体長(胸から尻まで)と体高(肩の最高点から地面まで)である。体高といっても頭の大きさは入らないわけであるから、実際に見てみると本当に大きく感じる。ちなみに、凛氣の父親は体高75cm、体重45kgであったという。まだまだ大きくなりそうである。
 
 2006年7月享年13歳で永眠したカーム・オラシオン(“穏やかな祈り”という意味、通称カーム)は28kg、同じく11歳で亡くなったロイヤル・フェロー(“威容ある少年”の意味、通称フェロー)は23kgであったということからすると、我家の先代犬を面倒見てくれたJUVYの方々にとっては凛氣の大きさが想像できることと思う。  
 
 読者諸兄にとってはどうでもよいことであろうが、ここで、我家に同居した犬君の歴史を簡単に触れておきたい。
 
 私が生まれる前に、ものすごく利口な(親父の話)イングリッシュセッターの富(とみ)がいたが、第2次世界大戦の出生兵士の毛皮になってしまったそうである。
 私が物心ついたときにはチンがいた。こちらはもらってきたときのあまりの小ささにチビと命名されたそうであるが、いつのまにかチンとなったようだ。実はチビどころか秋田犬であり、成犬後は名に偽りあり、大型犬であった。
 当時、車のない我家においては商売物をリヤカーで搬送する際の貴重な戦力であった。チビ〜チンという名に不満を抱いていたのか、ある日私をズボンの上からではあるが噛んだことがある。それ以来、私は全ての犬が好き、というわけではなくなった。チンは当時我家で飼育していた牛と仲が良く、一緒に牛小屋で寝ていた。
 しかし、わけもなく吠えたり人を噛もうとしたりするようになったので、中学生の私は祖父と共同作業で急遽檻を作ってやった。まもなく、そこで犬生を終えた。
 
 高校1年の冬、同級生のT君が
 「突然変異で毛足の長い秋田犬が生まれたので誰かもらってくれないか?」と里親をさがしていた。
 両親に相談したところ「飼おう」ということになり、喜んで里親を引き受けた。当時ユニバシアード東京大会にも参加し世界のスプリント界に颯爽と登場したトミー・スミスにあやかり、先々代のような利口な犬になってもらおうとトミーと名付けた。父はトミと勘違いしたのか、喜んでその名をつけることに賛成した。
 私が大学に行ってからは、家の者は皆トミと呼んでいたようだが、(確か)車と接触事故をおこしたようで、それが原因かどうかわからないが、大学を卒業し就職のため帰省したときはすでにいなかったと記憶している。短命だったようである。
 
 ソウルオリンピックを翌年にひかえた1987年暮れ、当時我家に下宿していた高校生のA君がジョギングをしていたところ、後をついてきてしまった犬がいた(そうだ)。
 寮のドアノブに小包の紐で結わえた子犬を見捨てるわけにはいかず、檻も鉄工所に注文し、我家で飼うことにした。
 ところが、この犬は牝犬であった。檻に入っているにもかかわらず、まもなく4匹の父親不明の子を産んだ。その中の1匹は菅原家(現JUVYの総務担当理事の菅原克己氏)にもらわれていったが、他はもらいてがない。我が家では親も含めて4匹も飼うわけにはいかない。
 「子犬が遊びに行ったのを親が追いかけたまま帰ってこない。」と説明したことを、子どもたちは今でも信じているのだろうか。思い出すとちょっとつらい。残った一頭の犬をギンと呼んだが、こちらも早くに亡くなった。
 
 そして、カーム、フェローへと続く。
 妻が犬好きで、この2匹には初めて本格的な躾をおこなったようである。
 カームは若い頃はよく脱走をしたが、1日たつと必ず帰ってきた。非常に賢い犬で、人間の会話はほとんど理解していたような気がする。
 フェローはやんちゃ坊主であったが、聞き分けは良かった。
 両犬とも人を見る目は確かで(失礼)、吠えられる人と全く吠えられない人がおり、私は密かに分析して楽しんでいた。
 カームが亡くなって4ヶ月後フェローが逝った。両犬とも死に際が立派で、動けなくなっても一切迷惑をかけなかった。
 彼らがいなくなることは本当に辛く、悲しい出来事であった。危篤の連絡をしたところ就職して別居している倅達も会いに来た。彼らの永久の旅立ちに家族全員の涙がかれた。
 
 「犬の死ぬところを見るのはいやだ」
ということで、当分犬は飼わないことを決意した。
 
 したにもかかわらず、なぜ今凛氣が我が家にいるのか。それは、岩崎町という場所柄、番犬が必要なことに気付いたからである。気付いてから、フェローの1周忌が済むまで、どのような犬種にするか家族会議が始まった。
折しも、北海道の品田家でミニチュアダックスフンドが4匹生まれたと連絡が入った。
 その内の一匹を譲ってもらおうか、というところまで会話が進んだが、妻は大きな犬が飼いたいというし、娘は大きくておとなしい犬を希望した。私はドーベルマンを提案したが、2人とも飼育に自信がないという。そこで、ジャーマンシェパードを提案したところ、納得してくれた。
 ところが、犬好きな人に話すと誰もが反対した。
 「素人ではジャーマンシェパードは躾けられない」と言うのだ。
 しかし、我家の結論は「皆でやれば大丈夫。やってみよう!」となり、ついにジャーマンシェパードを飼うことに決定したわけである。 
 
 犬を大がつくほど嫌いな吉永一行君や斎藤仁志君にも犬好きになってもらわなければならないという、新たな課題も与えられたわけではあるが・・・。

 犬によっては、成犬になれば人間にあてはめると2〜3歳の知能を持つまでになるという。凛氣は生後6ヶ月である。一般的には人間の中学生くらいであろうか。
 現在、家の中で飼っているが、家の中を元気に走り回り、食欲旺盛、そしてよく寝ている。まさしく、運動・栄養・休養のバランスが取れた生活だ。
 
 凛氣の暮らす居間は20畳ある。その中には1.8m×0.9m×0.9mのログハウスがある。凛氣の寝室である。居間からは窓を開ければ直接外に降りられる。そこは3m×2m×2mの外小屋である。余談だが、これらは全て私の手造りである。  
 
 環境を整えるのは、社会や組織の代表者の当然の役割である。ここのところをわからないリーダーが実に多い。サービスという言葉は知っていても、自ら実践に移すことを忘れているのである。
 
 さて、生後6ヶ月の凜氣であるが、飼い主の言葉はほとんど聞き分けているようだ。しかし、良いことか悪いことかは、言われるまで気付かない。だからいたずらをしてしまう。言われると気付く。特にいたずらをしたときは、はっきり自覚しているようである。注意する人から急いで逃げ、部屋の隅に伏せて様子をうかがう。
 
 当初、躾をすることは我慢比べと思っていたが、じつは違うようである。
 躾は犬という動物の本能的な部分をくすぐり、刺激することでうまくいくようだ。
 ただし、くすぐり刺激することを具体的にどのようにしたらよいかが難しい。
 それらを人間が理解したうえで命じれば、犬も直ぐに反応する。
 
 『躾には基本がある!』と気づいたのは凛氣を飼うようになってからである。
 そのことに関して私の出した結論は、『何のために躾をするのか?』ということを人間が納得したうえで躾という訓練をすることであった。
 それでは、何のために躾をするのかと言えば、それは、人間社会に溶け込み、家族と共存するために他ならないのである。これが基本である。
 溺愛は躾につながらない。躾は家族という最小単位の社会で迷惑をかけずに生きていくための理由なき条件なのである。社会で迷惑をかけずに生きて行くためには厳しい躾が必要であり、これを身につけさせることが飼い主としての愛情なのである。
 愛情とは温室に入れているだけでなく、霜にあてることもいうのである。
 
 人間も同じではないか。
 挨拶を含め礼儀のできない、というより知らない者が実に多い。
 
 世はマニュアルが氾濫している。これでは自分で判断する力など育まれない。
 犬を飼うのにも飼育のためのマニュアルがたくさん書店にあるし、インターネットでも紹介されている。しかし、その中には心がない。ほとんどが人間と共生するための心を基本として書かれていないのである。
 そもそも、生き物を育てるのにマニュアル通りに行くはずがない。毎日が想定外の行動の連続である。
 
 人間も同じではないか。
 想定内の出来事への対応をしているだけでは、人としての験智など生まれるはずがない。
 

 4月、「卯月」です。「卯の花月」の他、稲の苗を植える月であることから、「種月(うづき)」「植月(うえづき)」とも言われます。
 
 スポーツ界も田植えの時期に入ります。シーズン終了後に心の稲穂がたわわに実り、豊作であることを信じてシーズンインしましょう。
 
 人間の“基本の基本”は生きているかぎり続く「望ましい生活習慣」であり、“基本”は物心ついてから生涯続く「人としての心」かもしれません。
 そしてそれらは躾という厳しいようで身の引き締まるほど気分のよい言葉の上に乗っているような気がします。
 
 基本の基本である「望ましい生活習慣」、基本である「人としての心」に、競技者としての心・技・体を乗せ、想定外の出来事に的確に対応し、必ずや諸君の人生の1ページに燦然と輝くであろう2007年のシーズンを、凛として颯爽と、良氣を持って生きて行こうではありませんか。
 

    
 
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」
Vol.28「言霊」
Vol.29「夢」
Vol.30「影響力」
Vol.31「健康」
Vol.3「我家の凜氣」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo