Vol.27(2006.12.7.)
【師走・大雪】 「修行」
 
 
いよいよ12月、師走です。
 「師走」の由来は、年末で忙しいので普段は走らない師匠も走り回るからというのが一般的な説です。
 多くのスポーツマンにとって、このころから単調な練習が続き、年間を通して最も辛い時期とされ、鍛錬期などと言われます。
 しかし、今シーズンの反省から来年に向けての課題解決の方向性が定まったスポーツマンにとっては、奥深くおもしろい時期となるのではないでしょうか。
 私は眠っている身体のパーツの目を覚ます意味合いを含めてこの時期を『開発期』とよんでいます。人間にとって眠っているパーツはおそらく一生かかっても全て開発しきれないのではないでしょうか。そのような考えは一見消極的なようですが、実は希望に満ちあふれたものと考えられます。まだ開発されないところがあるからこそ、伸び悩みなどはあり得ないはずだとも言えるからです。
 優秀な指導者は眠っている部分の発見と開発方法を知っている人ではないでしょうか。
 
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 近年、関東以外で比較的多く訪れた街として「鹿児島」と「福井」があげられる。
 今年、鹿児島には1月と8月の2度訪れた。
 
 薩摩は日本が鎖国をしているころ、薩摩そのものも鎖国状態にあったらしい。
 これは玄関に鍵をかけた家で、さらに内から鍵をかけた部屋で子どもが勉強しているようなものであろうが、窓からは自由に出入りできたようである。親が知らないうちに夜遊びに出かけたり、友だちがおもしろい情報をもって窓から忍び込み、毎晩語り明かすようなものである。私のような不良は想像するだけでうきうきして来る。親にはわからない情報がどんどん入り、親より世の中通になっていたことと思う。もっとも親もそれなりに世間の情報はとっていただろうが。国も家も同じである。
 
 鹿児島は、桜島が見せるエネルギーに負けじと民がエネルギーを出しているようで、何となく力強さを感じる。行くたびに街そのものが躍動し、発展し続けているような気がする。なおかつ、歴史の中にもどっぷりとつかれる。純粋な心の中に「変えると守る」が同居し、鹿児島県人は私ごとき者では説明できないような精神構造をしているに違いない。 
 こんな文章を書いていたら、TVで「住んでいる県をよろしく思っていない」(だったと思う)県のワースト3に鹿児島が入っていた。しかし、私の感想は変えない。
 
 「鹿児島って箱物行政なのですね。」同行したある学校の女性教諭はそのように言ったが、私はそうは思わない。近代的な町並みの中で出会った女子高校生は少なくともスカートを短くしてはいなかったし、話し方は堂々と薩摩弁を使っていた。東京から離れているからではない、何かが鹿児島にはありそうだ。
 
 越前福井の駅に降りたのは11月20日であった。福井にはこの10年間で4度、都合5度訪れたことになる。栃木からはえらく遠いように感じたが、米原で特急に乗り換えるとおおよそ1時間で着くことを知った、というより実感した。そんなことから、京都からはきわめて近いという事実を知ったわけで、やはり東京が文化の中心と考えている情けない自分を再確認してしまった。
 
 福井駅は、というより駅ビルは変わっていた。こざっぱりとした建物の中に清潔さが目についた。ただし、私が商品に対して尋ねる前に先方から話しかけてくる、売ってやるという商魂のようなものが体にまとわりつくことが増えているようで、以前に訪れた際の福井の方が好みであった。売るモノは同じでも、新しく明るい建物の中で商売することで自信をつけるのであろうか。
 駅ビルのすぐ前では福井城の発掘をしていた。というより、駅前開発の途中で発掘調査をしなければならないような状況に陥ってしまったのかもしれない。そうならば、この場所はどのように変わっていくのであろうか。ただ、駅前にコンクリートの模造建築物など建てずに、コップで一番大切な部分はコップの中の空間であるように、会話はなくとも何かを感じるとることができる空間を造ってくれたら、空間はそこを利用する人の感性に任せる、というような駅前広場があっても良いのではないか、などと勝手なことを考えてみた。少なくとも宇都宮の駅前にはそのような空間は見あたらない。
 ちなみに、駅前でよく見かけるロータリーは一見空間と間違えそうであるが、あくまでも車のためのもので、人のための空間ではない。
 
 当初は、栃木から福井に行く移動日に米原の隣駅で佐野の姉妹都市である彦根を散策し、最終日の会議終了後えちぜん鉄道(旧京福電鉄)を利用して、永平寺を参拝する心づもりでいた。
 永平寺については昭和52年NHKのドキュメンタリー番組「永平寺」があった。この番組を教師になりたての自分はいたく気に入り、雲水の修行を指導に取り入れようとしていたこともあった。また、故・中村清先生が道元の正法眼蔵を引用して説教をしていたことも思い出す。永平寺に行くことに対してそんな理屈はいくらでもつけられるが、今回も気持ちは一観光人であったことに違いない。
 しかし、そんな気持ちはすっかり変わってしまった。司馬遼太郎著「越前の諸道」(「街道をゆく」シリーズの18)を本棚から探し出し、10数年ぶりに読みながら旅したためである。
 彦根に立ち寄るなどの道草は食わずに、とにかく早く宿に入り福井の地図を見たくなった。会議終了後の自由になる時間をどうするか、地図を見ながら考えようと思ったわけである。
 同時に永平寺行きもやめることにした。
 「街道をゆく」には、司馬遼太郎も永平寺に行くには行ったが、中に入らずに引き返したと書いてある。そのことに別に「右へならへ」をしたわけではない。
 
 そもそも、仏教本来の目標は個人を幸福にすることであるはずなのに、観光化した神社仏閣にそのような考えを基にした、どのような氣が残されているのか?
 3年前には、より荘厳な雰囲気が見られると知り朝4時に訪れたこともあるが、よく考えれば、金を払って人の修行を見に行くことのおかしさや、人に見せるために修行があるわけではないということに気付き、急に違和感を覚えた。だいいち、押されるように回廊をまわってくることは、自分の氣を閉ざすことにもなるはずである。
 
 JUVYもクラブの栄達や経済的繁栄を目標に会費や参加料を取ることは戒めなければならない。本来はボランティアでスタートしたはずのクラブであるから、金を徴収するのならそれに見合うサービスをしなければならない。そんなことが頭をよぎった。
 
 福井に着いた晩、会食を約束していた方が予約した料理屋に行った。
 越前は「おいしい料理がそろう日本一の県」らしいが、その夜の料理は最低であった。豪華な一品として体裁を整えているのだろうが全く食べる気にならない姫子蟹や冷め切った地元で取れたらしい半生の魚のてんぷらなど、まさしく箸を持つ気にもならないような代物が膳の上にところ狭しと並べられていた。どうにか食すことが出来たのはよせ鍋の豆腐、白菜、饂飩くらいのもので、普段の私の夕食通りであった。
 このような料理で金を取るということは、料理人が料理を喰う者の心で創っていない証拠である。食に限らず金は心で払うものである。
 同時に、この店を「インターネットで探した」などと言う感性のない人間には辟易した。その男が栃木県内で食育を推進する仕事を生業にしていることを考えると、実につまらぬ、無意味な時間をつぶした福井の夜は最悪のものになった。
 
 福井には山下氏という大学時代の後輩が永平寺町に住んでいる。氏は私が福井に行くたびに気分良く食事の出来る店を案内してくれていたので、なおさら気分を害した。今回は山下氏に連絡せずに福井にきたことを悔やんだ。同時に、山下氏の素晴らしさが大きく浮かび上がる結果となった。
 会っているのが苦痛と言えるような方との付き合いも修行の内かもしれないが、この日の夜のように食べたくないものを食するを修行とは言いたくない。
 この夜、何人かの人間が私の心の中を行き交い、凸凹の感情を平らにしてくれた。その途端、睡魔に襲われた。
 
 前述のとおり、会議が終わってからの短い旅はホテルの部屋でじっくり考えていた。
 その短い旅について書いてみたい。
 
 会議が終わり、弁当を持ってえちぜん鉄道に飛び乗り、終点の越前勝山駅を目指した。ボックスシートに一人で座り、弁当をひろげた途端一日目の夕食の不満が嘘のように消えた。地産地消弁当であったが、実においしく、栄養のバランスもカロリーも適度におさえられていた。このような食をしているからこそ、日本第2位の平均寿命県なのか、と一人納得した。
 
 えちぜん鉄道は福井市内を抜けると右に大きくカーブし九頭竜川に沿って走るが、車窓から眺める山に重量感がある。佐野の山のように空の容器をふせたような感じではなく、しっかりと砂を詰め込んだような山なのである。実はこの感覚が帰りの車窓から外を眺めながら間違いでなかったことに気付いた。
 
 車内の計画では越前勝山駅にから目的の場所にタクシーを飛ばそうと思ったが、改札口を出た途端小春日和であることに気付き、歩いても時間内に往復できると計算し歩き始めた。
 途中、家々で雪対策が始まっていた。9割方庭木の保護であった。
 ゆっくりと時間を費やすと昔のことも今の時間の中に溶け込むのかもしれない。亡き母が私の小さい頃、
 「草花を大切に出来ない人が他人様を大切にできるわけがない」
と理屈にならない理屈を聞かせてくれていたのを思い出した。
 
 30分ほど歩くとスネとハギに悪魔が訪れた。痙攣である。(何と弱くなったものだ)と情けなくなるのと同時に、タクシーを利用しなかったことを悔いた。道ばたでストレッチをしたら多少おさまった。ストレッチをしながら、昨年の夏の奈良でのことを思い出していた。箸墓を見て大神神社に向かい、山辺の道を歩く計画の際にも同じ症状が出たが、大神神社で参拝した以降は快調になった。なったついでに内臓まで調子よくなり慌てて厠に駆け込んだ。そんな話しである。
 目的の場所には45分で到着すると見積もっていたので、もう少しの辛抱と思いながら歩いていたが、いっこうに目的の場所に到着する気配がない。不安を感じながらも歩き続けた。不安状態では感性が働かないことがわかった。森を見ても木が見えない状態が続いた。思う事と言えば(この坂きついなー)などという現実的なことばかりである。
 辛抱していると紅が見えた。どうやら見事な紅葉らしい。近くまで行って観てみたい、という思いで俄然ペースが上がった。
 そこに到着してはじめて目的の場所の入り口であることにきづいた。結局、越前勝山駅から80分かけて、目的の場所「平泉寺白山神社」にたどり着いた。悪魔は去り、またしても内臓が活性化してきた。
 
 ここは寺と書きながら神社である。
 拝観料の類は一切取らない。越前勝山駅からの道すがら案内板が1カ所しかなかったことに合点がいった。観光客を相手にしていないのである。
 石で組まれた一段ずつが広く不規則な階段状の参道を歩いていくと、左側にある社務所内の庭だけは有料であった。
 「ここを見たければ50円置いて引き戸を開けて自由に見てよろしい」という張り紙があったので、50円置いて引き戸を開けてみたが、残念ながら大部荒れていた。50円の価値もなかった。この庭(どうやら国宝らしい)については、「街道をゆく」にもあり、司馬遼太郎執筆から四半世紀たっても50円の拝観料は変わっていないようだが、庭そのものもそのままにしてあるようだった。
 
 参道に戻った。
 境内の建造部物、石段、全てが古い。着飾っていない。しかし手入れはされている。というより掃除がいきわたっている。拝観料を取らずに手入れされているということは地元の方々や信仰する方々のボランティアで維持されているとしか考えられない。
 まさしく、地域が文化の継承を図っているのである。
 
 国や地方の自治体の笛に踊らされ、とりあえず形だけを整え、全国的に急ぎ設立されている総合型地域スポーツクラブに一抹の不安を感じる。
 人が変わればクラブなど吹っ飛んでしまうのではないか。
 我々のクラブでも設立意義や運営哲学などの本質は、まだ見え隠れしていないどころか、芽も出ていないのではないか、などと心配になった。
 
 京都の鞍馬寺を思い出した。というより、似たような氣が私の体の周りを包んでくれているような気がした。
 平泉寺白山神社敷地内の(もっともどこまでが敷地かはわからないが)苔には圧倒された。説明には京都の苔寺の比ではないとある。しかし、何たる俗なことか、何たる感性の乏しいことか、私は毎年4月第1週にテレビで見るオーガスタのグリーン(※)を思い出していた。
 
  ※ 毎年4月の第1木曜日から4日間、アメリカ・ジョージア州・オーガスタにあるオーガスタ   ナショナルゴルフクラブで開催されるゴルフのメジャー大会第1戦「マスターズ」のグリー    ンのこと。
 
 帰りは下り坂になり、急に楽になった。
 余裕がでたので、昭和62年に開山した越前大仏を見てみようかと山沿いに急歩(ある)いた。建立の目的は知る由もないが、とにかく建物が大きい。入り口まで行って、後ずさりした。決して拝観料を払うのが惜しくなったわけではない。
 ソウルオリンピックに行ったとき、スタジアムの入り口でその大きさに圧倒されたが、その時は後ずさりはしなかった。
 後ずさりしながら、闘いに備えスポーツの会場に選手が入るときはどこから入るのかを思っていた。多くの神社仏閣はその伽藍配置にもよるだろうが、まずは正面からである。そこから覚悟を決めて参拝への第1歩を踏み出すのではないか。スポーツも会場の正面から入るようにしたら、参加者の感性もまた違ってくるのだと思った。思っただけで、それ以上のことは考えずに、内に鎮座しているであろう御仏の大きさを外観で推し量りながら、越前勝山駅に向かった。とにかく喉がかわいた。
 
 ここまで、3時間以上歩いている。
 駅前の店で缶ビール2本と(つまみになるものが他になかったので仕方なく)かっぱえびせん一袋を買った。田舎なんだな、と思った。しかし、よくよく考えれば、我が家の最寄りの駅である田沼(栃木県佐野市)でも、駅前にビールとつまみを売っている店はない。
 
 改札時、駅員に「白山が見える場所はありますか?」と尋ねたところ、
 「比島〜発坂〜保田駅〜小舟渡の途中で左斜め後方に見えます。」と教えてくれた。
「街道をゆく」では白山は見えない、ということになっていたので、ことさらうれしくなった。
 問題は日の暮れである。駅員に教えてもらった箇所に行くまでにもう日は暮れてしまうかもしれない。
 しかし間に合った、見えたのである、雪で真っ白になった白山連峰が。特に保田〜小舟渡間ではその神々しい姿をしっかりと拝ませてもらうことができた。
 以前見た、北海道浦河町からの雪をかぶった北の山々、群馬後閑からの夕焼けに染まった谷川岳、長野菅平根子岳山頂からの槍ヶ岳などが思い起こされた。
 
 山岳信仰と言えば、「富士山」「出羽三山」「白山」が特に有名であるが、私は白山だけ見ていなかったので、雪をかぶって真っ白になった霊山を見ることで感動をおぼえた。
 それは、あたかも切り取った木の中心から、それほど標高の高くない山を最前列に立体的な年輪を観るように、全ての山が重量感を持ってだんだん高くなりながら白山まで続いていた。
 立体的な大きな円弧の連続の最も深いところにある白山に感動を覚えながらも、数時間前の自分を思い出していた。
 車窓から遠くを眺める余裕があれば、晴れて明るかった往路(いき)には、白山がもっとよく見えたはずである。ここでも、眼の付け所の未熟さを知り、遠近両用の眼で時に応じて焦点を合わせねばならないことを痛感した。
 
   この日の私の小さな勝山の旅については前述の司馬遼太郎著・街道をゆく18「越前の諸  道」(越前勝山〜白山信仰の背後〜平泉寺の盛衰〜衆徒の滅亡〜菩提林〜木洩れ日)を  ご一読ください。
 
 修行は日常に何気なく存在する。
 人間、それぞれの能力に応じた速度で人生を歩めば、何が修行にあたるか気付くはずである。
 今回の旅は、そんなことを教えてくれたような気がする。修行とは見えなかったことが見えたという小さな気付きを求めることかもしれない。
 
 私などは、もっとゆっくり歩まなければならない。
 
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作家の五木寛之が「修行の期間を終えると、多くの者は修行者ではなくなる」と言っていたことを想いだす。
 永平寺で厳しい修行をした雲水は下界に降りたらどのような心境で生き、どのような生活をしていくのであろう。
 スポーツ選手にとって現役時代は、ある意味、ある部分「行」かもしれない。そう考えると、現役が終わった選手が一般人に戻ったとき、肉体の「行」が終えるのと同時に心の「行」も終焉をむかえてしまうのであろうか。辛い事実である。
 
 
また、五木寛之は「スポーツが行であるからこそ、科学では解決できないことを成し遂げるのことができるのではないか」とも言っている。
 科学では解析できないような偉大な力を眼に見えない力とするならば、「行」の中には、見えないモノの存在を信じられるようになることや、見えないモノが見えるようになることも含まれるのではなかろうか。
 一般的には見えないモノが見えたとき、その神秘さを体験させていただいたことに対し、感謝の心が沸々と湧き出るはずである。ごく当たり前の感性を持ち合わせてさえいれば。 
 感謝の心を理解し、感謝の心を持てるようにすることも「行」であるならば、「行」より成果を求めたがるスポーツマンや指導者が何と多くなっていることか。憂える事実である。
 
 
福井駅は自動改札ではない。駅員がスタンプを押す。
 改札機に液晶で浮かぶ「ありがとうございます」という文字を見て改札を通過するのと、見知らぬ駅員が、一端切符を受け取り、スタンプを押し、乗客にあらためて切符を戻しながら「ありがとうございます」と言われて改札を通過するのでは情が違う。
 こんなことがわかっただけでも、これからの生き様は違ってくるのではないか。
 今回得られた感性を験智として心に植えたつもりだが、水をやることができるだろうか、などと思いながら福井をあとにした。
 
 
 
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」
Vol.24「心・技・体」
Vol.25「再興」
Vol.26「神在り月」
Vol.27「修行」

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