Vol.19(2006.8.8)
【葉月・立秋】 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
1974年 久留米市(福岡)
1975年 港区(東京)
1976年 長野市(長野)
1977年 岡山市(岡山)
1978年 福島市(福島)
1979年 大津市(滋賀)
1980年 松山市(愛媛)
1981年 横浜市(神奈川)
1982年 鹿児島市(鹿児島)
1983年 名古屋市(愛知)
1984年 雄勝町(秋田)
1985年 金沢市(石川)
1986年 山口市(山口)
1987年 札幌市(北海道)
1988年 神戸市(兵庫)
1989年 春野町(高知) 

 私が佐野高校の教員をしていた時のインターハイの会場地です。
多いときには10人以上、少ないときは1人の選手でありましたが、幸いにも全ての大会に参加することができました。ありがたいことです。

 ご存じの通り、インターハイはインターハイスクールの略ですが、正式な名称は「全国高等学校総合体育大会」です。インターハイは(いつからそうなったか調べていませんが)全国高等学校体育連盟が競技種目ごとに単独で開催していたものを統一して総合開会式を実施し、例年8月に実施されます。

栃木県では単独競技開催として「秩父宮賜杯全国高等学校対校陸上競技選手権」が昭和26年に、総合体育大会として群馬県を主会場として開催された昭和44年に一部の競技を、そして、平成5年に待望の総合開会式が本県で開催されました。(すなわち、本県が主開催県ということで、今でも県内関係者は平5ソウタイと呼んでいます。)

 平5総体でも本県の選手が大活躍しましたが、あと1〜2年開催年度が前でしたら、荒川岳士選手(宇都宮東高)と大野功二選手(佐野高)が100m・200mで1・2フィニュッシュをした可能性もありました。そのことは、今年度開催の大阪にも言えることで、昨年度が大阪開催ですと金丸祐三選手(大阪高〜法政大)はとんでもないヒーローになっていたことでしょう。

 このようなことを、「タラレバ」と言いますが、大阪の宿舎で人間の運命の不思議さを考えていました。

 
 陸上競技で全国インターハイに出場するためには、県予選〜地区予選(我々は北関東)を勝ち抜かなければなりません。まさしくトーナメントです。インターハイと時を同じくして行われる全国高等学校野球選手権がトーナメントの代表のように言われていますが、陸上競技には別の観点から考えるとさらに厳しいものがあります。

 例えば、コンデショニングについて考えてみます。例年(多くの県で)7月中旬から始まる夏の高校野球は甲子園での大会が終わるまでおおよそ50日間ですが、陸上競技は5月初旬の県予選から始まり(県によっては4月)、8月初旬に終了する全国インターハイまで、おおよそ100日間にわたり調子を整え、なおかつ調子を上げていかなければならないのです。

 私が指導するうえで、特に神経をすり減らしてきたリレー競技では、県大会で3回×2レース(予選と決勝)の計6回、関東大会でも同じく6回、全国大会で6回(予選・準決勝)のバトンパス全てをクリアーしたチームがファイナリスト(8チーム)となり、日本一を目指す権利を得、最後の3回(決勝)のバトンパスを行うのです。

もちろん、試合ではコース侵害などのルールもクリアーしなければなりませんし、100日の間、心と体の調子や怪我などの難題とも向き合わなければならないのです。「足にはスランプがない」などと本気で思っている野球関係者には、決して陸上競技の厳しさはわからないと思いますが…。 

 そのような中、國學院栃木の女子4×100mリレーが見事3位に入賞しました。私の記憶では、本県にとってリレー競技の上位入賞は久しぶりのことで、1983年の名古屋インターハイ佐野高校以来23年ぶりではないかと思います。本当におめでとうございます。

総じて今年のTochigiは健闘したと思います。走・跳・投全般に、なおかつ一校に片寄らないということにおいてバランス良い活躍であったと思います。


 前回も書きましたが、名古屋インターハイでは4人の選手で4×100m2位、4×400m3位に入賞しました。また秋田インターハイでは8人で両種目4位になりました。

このような厳しい戦いを乗り切るには、
いつ訪れるかわからない最後のレースのフィニッシュをめざすため
「明日を考える余裕の心」
と、1回ごとのレースに集中しなければならない
「明日を考えてはいけない緊張の心」
が同居しなければなりません。

名古屋も秋田も私の普段の指導やレース当日の采配がもう少しよければ勝てた(日本一になれた)と思います。当時の選手にいつか謝らなければなりません。


 インターハイというトーナメントを戦い続ける100日の中で、最も集中するのは関東大会です。ここでは確実に入賞しなければならないからです。

関東大会の後、猛烈なエネルギーが生じ、全国に向かってきた選手でも、(そのような選手はおおかた全国大会で成功しているようですが)関東大会は緊張の極みだったはずです。

何故なら怪我や失格、記録なしなどの幻影も見え隠れし、大会において「絶対」はないはずだからです。

 だからこそ、トーナメントの最後となる全国大会は「おまけ」みたいなものなのです。

 昔、駄菓子屋で袋に甘納豆と番号札の入っているくじがありました。その番号で景品がもらえるのです。欲しいものは陳列されていますが、番号が合わなければ駄目です。しかしはずれはないのです。自分の欲しいものと同じ番号が出るとは限りません。

インターハイに出場する者誰もが勝ちたいと思っています。しかし、どのような結果が出るかはやってみなければわかりません。



 「トーナメントの最後まで進めば、人生にとってのはずれはない。
そこにいるだけで、君たちの選択した高校生活は誤りではなかった。」

 そんな気持ちで迎えた全国大会におけるJUVY代表の結果は、佐野高校7名中、5名自己新(リレーのラップを含む)、1名はほぼ力を出したと言われる98%↑。真岡女子高2名中2名自己新。栃木女子高1名は本年度最高。すなわち、出場者の90%がパフォーマンス98をクリアーしました。

 そのような中で、私なりに特別賞を考えてみました。あくまでも私の私見です。

☆最優秀選手「稲葉直紀君」

 稲葉君は110mHで4位に入賞しました。年明けの怪我が4月まで治らず、苦労したようですが、彼は自分でスケジュールを組み立て、この大会にきっちりと合わせました。高校生としては特筆される内面の持ち主です。

 今回の彼は調子が良すぎるという贅沢な悩みを抱えていました。100mのように突っ走るという種目と異なり、インターバルが制約されているハードル競技は調子が良すぎると「つまる」という現象がおき、その結果、ハードルの上に「乗ってしまう」とかハードルを「ひっかける」「ぶっつける」とかして、敗退する者が多いのです。特に経験の少ないJr.競技者は調子の良さに対応できないことが多いようです。

 その結果、予選から苦戦しました。準決勝では前半ハードルに乗ってしまいましたが、強烈な粘り腰を見せ、3着になり、抽選にまでもつれ込みました。その結果決勝進出者として神に呼ばれ、決勝では4位に入賞しました。

 過去にも、島根国体100mの栗原選手や奈良国体110mHの饗庭選手も準決勝はプラスでひろわれ、決勝で優勝したことがありました。しかし、抽選による心のエネルギー消費が大きすぎたようです。

 JUVYでは、過去の国体で2名の110mH優勝者が出ています。その時の大会会場は「奈良」「京都」でした。今年の国体は「神戸」です。「三都物語」(平城京・平安京・福原京)達成なるか。今回の重圧に比べれば、このような期待は楽しいものとなるはずです。
 
☆敢闘賞「米澤京佑君」

 米澤君は8種競技と三段跳と4×400mリレーで10回にわたり競技場に現れましたが、110mハードル以外では全種目パフォーマンス98をやってのけました。ハードルも稲葉君と同じ調子の良さが出現しての失敗でしたので、ここの対処法がわかっていれば、何とパーフェクトゲームです。最も力を出し切った選手です。実にたくましい。

 このエネルギーを1点に集約する術を身につけてください。そのためには、共食いと標準記録突破の重圧に襲われる国体予選が最初の難関です。

☆特別賞「小林諒平君」

 小林君は春先練習中にねんざをし、今でも完治していません。寡黙な彼は足と相談しながら、ここまで闘ってきました。決して言い訳はしませんでした。

 県大会で4位になったときは「根性」と呼ばれ、関東大会で4位になったときには「奇跡」と呼ばれ、今回は素晴らしい跳躍で「自己新」を樹立しました。

 勝負を大会当日に置かず、普段の練習で勝負する。すなわち技術の改良や体力の開発を練習で徹底して行い、大会では淡々と発揮するだけという勝負の仕方が見事に功を奏したのです。競技者として見習わなければなりません。

 そのようなことを150日以上にわたって実践してきた者が同僚にいることに我々は誇りを持ちたいものです。

☆向上賞「福田・江面さん。2名の真岡女子高校スプリンター」

 彼女らは昨秋からJUVYに入会しました。当時は400m60秒程度の普通の選手でした。この冬の土・日は真岡から佐野に来て、男子選手に混ざり練習を続けました。お母さんも大変だったことと思います。そして松永さんの送迎が隠れた「殊勲賞」です。

 今回の4×400mリレーでは、非公式ラップではありますが、4月当初から2人とも実に3秒以上短縮しました。何と5%以上の向上率です。
やれば出来るという見本を示してくれました。

☆新人賞「平井優季さん」

 佐野北中から栃木女子高校に進学した平井さんは、普段の練習は栃木女子高校で栃木先生の指導のもと行い、土・日は佐野でJUVYのメンバーとしてやってきました。

 1年生がこのような大きな大会で跳ぶことは緊張もあるのでしょうが、しっかりと本年度自己ベストを出しました。3本目はほんの少しファールしましたが、自己記録は間違いなく超えていました。

 私個人としては、この跳躍で彼女のリズムや特性がさらにつかめました。国体が楽しみです。

 怪我に注意し、勉強にスポーツに趣味に友人関係にと、楽しい高校生活を続けてください。


 インターハイ第2陣出発の朝6時30分、私は両毛線の車両内で最後の全体ミーティングをおこないました。勿論大阪まで同行したわけではありません。そこでしかアドバイスする場がなかったからです。

 【この大会が最後という「こだわり」を持ちなさい。特に3年生はそうです。

こだわりを持つ人にのみ「おまけ」がもらえます。

こだわりは、人が生きていくときの「万能薬」になるのです。】


 
 インターハイが終わり、次の生き様を見つけるために、以下の言葉を贈ります。

【この一瞬が最後と思いながら闘っていると、その一瞬が点となる。

その点を結ぶと線が引かれるが、その線も永遠に引かれ続けられるわけではない

勝ったからと言っておごるな、負けたからといって悲観するな

好きでやってきた陸上競技の結果を、勝ち負けだけの価値観で判断するな

勝ちが人生の勝利にはつながらないし、負けが人生の敗北にはならない

そんなことで人生は決まらない

本物の陸上競技は、そして未来揚々たる人生はこれから始まる

いつかはおとずれるトーナメントの終わりを勝敗に関係なく歓喜にかえよ】



 次週は国体予選、その翌週は関東選手権と続きます。
休む暇もありません。充電練習はいつやったらよいのでしょう。
無茶苦茶なスケジュールと言わざるを得ません。

こんな時こそ冷静に、何をするべきか考え、実践していきましょう。

今回最後の注文です。

秋のシーズンを前に人としての総合力を高めておきましょう。

 次回は【葉月・処暑】 テーマは「トーナメント・有限と無限の交差点 ―上(かみ)から声をかけられた競技者―」です
Vol.1 JUVY 創 設
Vol.2 理想の指導者とは
Vol.3 素晴らしき指導者
Vol.4 回顧・2005年
Vol.5 新春は箱根と共に
Vol.6 凛として颯爽と
Vol.7 眼のつけどころ
Vol.8 視点・感点
Vol.9 思い出に残る一言
Vol.10 新たなる旅立
Vol.11 JUVY誕生
Vol.12 春のスポーツシーズン到来
Vol.13 指導者としての実践力とは
Vol.14 ジュニアとシニア・その1
Vol.15 ジュニアとシニア・その2
Vol.16 わたしなりに言いたいことを…
Vol.17 「眼に見えない力」
Vol.18 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その1」
Vol.19 「朱夏の熱き闘い・インターハイ その2」
Vol.20 「トーナメント・有限と無限の交差点」
Vol.21 「定石とひらめき」
Vol.22「合同練習会」
Vol.23「国民体育大会」

Circle-JUVY General Manager OKUZAWA Yasuo

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