康駿視点    第1回(2011.5.8.) ー人間関係ー 

 平成21年3月に告示された高等学校学習指導要領「特別活動」の目標に「人間関係」という文言が加わった。学習指導要領を作成するような方々は人間関係に特段気を使いながら生きてきたはずなのに、なぜいまさらと思うが、慎重居士の多い部門に多くを期待してはならない。よって、特段吠えたいとも思わないし、望ましい人間関係の構築が重要視されたことを否定する気もさらさらない。むしろ、(時期の問題はともかくとして)我々のように特別活動に教育的効果を期待している者にとっては歓迎しなければならないことのようである。
 
 学校において「いじめ」や「不登校」、「青少年犯罪の凶悪化・低年齢化」などの問題が大きな課題になってきたのはいつのころからだったか。むろんそのような流れは学校だけで起きていたわけではない。家庭に目を移せば「核家族化」「少子化」「父親の存在感の希薄化」「家庭における生活習慣の乱れ」などが指摘されはじめたのも同じころからではなかったか。これらの問題は全て「人間関係の希薄化」ということが少なからず原因となって引き起こされてきたことであることは容易に想像できる。
 
 ところで、人間関係とは他人との関わりのことであるから「良い関わり」も「悪い関わり」もある。また、同じ関わりの中でも「強い関わり」も「弱い関わり」の両方がある。
 それらを総合し、今我々が考えなければならない人間関係とは、(これまで先人が実行してきた通り)「望ましい人間関係」であり、「望ましい人間関係」をできるだけ強く構築するという、何とも簡単なところに行きつくのである。
 本来、「学校」「家庭」「地域社会」には一人の子どもを育てるための責任があり、それぞれ役割がある。当然、望ましい人間関係もあらゆる機会を通して育まなければならない。それなのに「悪いことを悪いと言えない大人たち」「悪いことがわかっていても開き直る、へ理屈で大人に対抗する、上げ足を取る」そんな子どもたちが多すぎる。
 この関係を修復できないどころか、やればやるほど複雑に絡み合い、全くもって絡み合った糸のようになった例を最近見たばかりである。
 戦後の日本の学校では教科における学習目標の達成を最重要課題としてきた。勤勉な日本人はこの課題に熱心に取り組むことにより知的レベルを高め、世界中からその能力を認められてきた。このことは日本人として誰もが誇れることである。
 しかし、そのようなことが間接的に人間関係の構築を奪ってきたとすると多少寂しいものがある。であるからして、そのようなことが原因で子どもたちが人間関係を学ぶことを忘れているとするならば、学校生活のどこかで思い起こさせなければならない。
 たとえば「人間関係というものへの関心はいつごろ生まれたか」「人間関係に関する価値観はいつごろ形作られたか」「人間関係に関する価値観はどのように変化してきたか」「人間関係が人生に与える影響を本気で考え始めたのはいつごろか」などといったことを大人が振り返り、今の子どもたちの心の底を探ることから始めなければならないのではないか。そんなことから子どもたち一緒に「望ましい人間関係」について考え、未来遠大な子どもたちが人生を有意義に生き抜くための貴重な財産としなければならない。
 現在の学校生活において、そのようなことを実践できる場は座学を中心とした学習だけでは不十分である。実技科目や特別活動にその多くを期待しなければならない。特に、部活動における「縦の関係」を多用してバランスをとっていくことは、教室での「横の関係」を中心としたバランス関係に対して強烈な効能を発揮するはずである。
 
 学習指導要領の「特別活動」の目標に「人間関係」という文言を入れたとしても、それだけで人間関係が構築されていくわけではない。
  問題は漠然とした概念でしかない人間関係というものをどのように実践していくかということである。
 私は大人と子どもが「望ましい人間関係を共有する」ことから解決の広がりが見られるのではないかと信じている。もちろん友達のような人間関係を共有しても、そのようなことで人間関係が解決するとは思っていない。世界中どこにいっても通じるのは「礼節溢れる態度で自分の意見を自分の言葉で言える人間」であり、そのような意識レベルの高い人間関係を目指さなければ、人間関係は文言だけで終わるのは目に見えている。
 それでは意識レベルの高い人間関係を醸成するためにはどうしたらよいか。皆さん気づいているし、実践もしている。つまり、スポーツを通した活動中の人間関係を重要視することなのである。多くのスポーツ活動を通して、大人は工夫を凝らしながら「望ましい人間関係術」を教え、「生きることの楽しさ」や「集団の中の一員としての喜び」などを感じさせ、好ましい価値観や社会観を植えつけているはずなのである。
 
 東日本大震災を見て、聞いて、感じているうちに、何か違う自分が歩み始めたことに気付いている方が少なくないのではないか。被災された方々には失礼な言い回しになるかもしれないが、実はそのような心の変わり目こそ真の人間関係を見直すチャンスなのだ。
 今、私は「心の底を見られることは決して恥ずかしいことではない」という思いで生活している。あきらかに人間関係に対する考えが変わってきた。
 
 過日、吉永、齋藤、武井とミニ合宿を張った時私は彼らに以下のような話をした。
 
 「時計屋で同じ長さの振り子をバラバラに振らしても、数日で同じリズムで振りはじめるらしい。夕暮れの蛍は別々に光を発してしているが、明け方には光を発する間隔は同じになるらしい。そんな人間関係が仲間であり師弟の関係なのではないかな。
 そのような流れで生きていくことができれば競技生活だけじゃない、人生も楽になると思うだろう?人間関係と言うのは良い関係を深く強くつくっていかなければならないのだ!」

 
 あらゆる物質には「波動」というものがあり、弱いエネレギーを出しているという。人間で言えば「氣」である。
 「波動」「氣」は流さなければならない。留めてもいけない。良い流れを出し受け取ってもらうことが「本物の人間関係」ということなのであろう。
 人間関係を構築するためには時には我慢も必要である。
 しかし、究極の人間関係は「氣の合う奴ら」この一言につきる、と私は感じている。
 皆さん、「氣」を出し、「氣」を流し、「氣」を合わせる訓練を!

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